カテゴリー:過去の連載
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先人の足跡をたどる №144(岸和田市) 大阪案内人 西俣 稔
南海岸和田駅から出発しましょう。明治30年(1897)に創設された駅で、岸和田が古くから大きな町であった証。現在も乗降客数2万3千人を超え、南海100駅の12位となっています。駅舎は三代目で昭和初期竣工、先代の駅舎…
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先人の足跡をたどる №143(都島区) 大阪案内人 西俣 稔
阪急崇禅寺駅横の大宮橋踏切を越えると、柴島浄水場です。ここで大阪の水道の歴史を。明治10年(1877)から同20年頃、井戸水の悪水で感染したコレラ・チフスで、大阪でも3万人を超える人々が亡くなりました。そこで安全な水…
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先人の足跡をたどる №142(東淀川区) 大阪案内人 西俣 稔
[caption id="attachment_5618" align="alignright" width="125"] 足利義教首塚[/caption] [caption id="attachment_56…
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先人の足跡をたどる №141(東淀川区) 大阪案内人 西俣 稔
中島大水道跡碑を西へ進み、西淡路小学校手間の路地を抜けると、コンクリートの建造物が建っています。B29などを撃ち落す高射砲陣地の砲台で、西淡路(当時国次)高射砲陣地の遺構です。砲台は高さ約5m、12角形で、7㎝高射…
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先人の足跡をたどる №140(東淀川区) 大阪案内人 西俣 稔
阪急淡路駅西の商店街を抜けると、新幹線が通ります。数年前の毎日新聞のコラム、タイトルは「そんなに急いでどうするの」だったと思います。リニアモーターカーの話です。記者は昭和39年(1964)新幹線開通の時に書かれた、…
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先人の足跡をたどる №139(東淀川区) 大阪案内人 西俣 稔
今回から東淀川区を辿ります。大正14年(1925)に大阪市の拡張で、西淀川区とともに編入。それまでは西成郡、一面田園地帯で多くの村が点在していました。東淀川区がなぜ西成?と思われるかも。奈良時代にできた郡で、上町台…
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先人の足跡をたどる №138(西淀川区) 大阪案内人 西俣 稔
中津川の先(鼻)が由来の鼻川神社の鳥居を東へ出ると、道筋が弓なりに曲がっています。埋め立てられた中津川跡で、西側が川跡で宅地化し新しい家が建ち、東側は新家といわれる中津川東岸の集落跡で、古民家や蔵が建っています。少…
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先人の足跡をたどる №137(西淀川区) 大阪案内人 西俣 稔
歴史案内で古の話を語っている道中、大和田街道途中に「関西スーパー」があり、ふと現実に戻ります。スーパー前の道が大きく東へ曲がり、明治18年(1885)の地図を見ると、街道の曲がりと分かり、変わらぬ道筋が残っています…
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先人の足跡をたどる №136(西淀川区) 大阪案内人 西俣 稔
大和田には珍しい漁港(船溜)があります。大阪市内に漁港?と思われる方も。大阪府のHPによると、他にも旧大野川河口(西淀川区福町)、伝法入堀(此花区)、港地区(港区福崎)、柴谷船溜(住之江区)があります。大和田船溜に…
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先人の足跡をたどる №135(西淀川区) 大阪案内人 西俣 稔
[caption id="attachment_5543" align="alignright" width="201"] 「佃漁民ゆかりの地」碑[/caption]
「佃空襲」鎮魂碑を後に東へ進むと、佃…
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