カテゴリー:先人の足跡をたどる
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浪速区幸町から、西淀川区福町まで辿る「幸福ツアー」(後)
先人の足跡 最終回 大阪案内人 西俣 稔 本連載も本号で最終回となります。幸町から福町まで7つの川を渡り、川の開削や改修などに携わった、先人の苦労を偲ぶツアー、後編です。前回、旧軍用道路を紹介しましたが、その大きな痕跡が、JR西九条駅すぐの安治川川底トンネルです。まずは九条と4… -
浪速区幸町から、西淀川区福町まで辿る「幸福ツアー」(前)
先人の足跡 No.159 大阪案内人 西俣 稔 2006年8月から13年余り続いた本連載も、次号で最終回となります。160話も続けられたのは、読者の皆様のお陰と、大阪の魅力に尽きると思います。お開きにふさわしく2話、保険医協会のある「幸」町から、西淀川区「福」町まで辿りましょう… -
「猫塚」と南海平野線跡、今宮神社を辿る
先人の足跡 No.158(西成区・浪速区) 大阪案内人 西俣 稔 前回の南海天王寺線廃線跡を抜けると、商店街「動物園前一番街」。オシャレな名ですが、純喫茶(懐かしい響き)やカラオケ店、めし屋などが並ぶ昭和レトロな風情です。しばし歩き「スーパー玉出」を右へ曲がり、どんつきを右へ入… -
ジャンジャン横丁と「てんのじ村」碑、廃線跡を辿る
先人の足跡 No.157(浪速区・西成区) 大阪案内人 西俣 稔 新世界の続きです。行列のできる串カツ屋などで賑わう、ジャンジャン横丁(ジャンジャン町とも)の由来は?北入口の上に通天閣を擬人化し、三味線を弾いている絵が。昔は「ジャン♪ジャン♪」と三味線を爪弾き客寄せしていて、こ… -
「砂の器」ロケ地と、動物園の惨状 知られざる新世界
先人の足跡 No.156(浪速区) 大阪案内人 西俣 稔 前回、新世界の成立ちと通天閣を案内しました。今回は新世界を時計廻りにご案内します。JR新今宮駅の北にある阪堺恵美須町駅、明治44年(1911)開通しました。昭和13年(1938)に地下鉄動物園前駅が、同39年(1964)… -
昭和の風情が漂う、新世界と通天閣
先人の足跡 No.155(浪速区) 大阪案内人 西俣 稔 前回、浪速区に独力で架けた十津川屋橋を紹介しましたが、今回は新世界をご案内します。スタートはJR新今宮駅、隣の今宮駅に対し「新」が付きますが、いつ駅ができたのか。昭和36年(1961)までは、環状線はなく大阪駅から天王寺… -
終戦直後、独力で架けた橋 幻の十津川屋橋を追って(後編)
先人の足跡 No.154(浪速区) 大阪案内人 西俣 稔 「浪速区恵美須町の食堂『十津川屋』の西谷良一さん仮名・当時38歳)が、入堀川に小さな仮橋をかけた。夕日橋という橋があったが、戦災で焼け落ち、主婦は米の配給所まで遠回りし、通学する小学生は焼残った鉄管を危なげに渡るので、見… -
終戦直後、独力で架けた橋 幻の十津川屋橋を追って
先人の足跡 No.153(浪速区) 大阪案内人 西俣 稔 今回から浪速区をご案内します。昭和18年(1943)にできた区で、面積4.39㎢、日本で一番狭い行政区です。しかし奈良街道や紀州街道が通り、今宮戎社、広田神社などが鎮座し、明治36年(1903)内国勧業博覧会の跡地にでき… -
暗越奈良街道と契沖ゆかり「妙法寺」を辿る
先人の足跡 No.152(東成区) 大阪案内人 西俣 稔 前回のセルロイド会館を後に、長堀通を渡ると小高くなった道が暗越奈良街道で、随所に碑が建っています。道に平行してフェンスに囲われた、細い空き地が水路の跡です。街道沿いに水路はつきもので、農作物を小舟で運んだり、灌漑や排水に… -
猫間川跡と、近代産業創業の町、松下幸之助起業地を訪ねる
先人の足跡 No.151(東成区) 大阪案内人 西俣 稔 JR玉造駅東にある市立玉津中学校南の道は歪に蛇行しています。森ノ宮から続く猫間川跡で、南下すると東に広大な空き地が。調べると東洋鋳物工場の跡地で、東成区も田地から工場地帯と化し、さらに宅地化した経緯が分かります。…余談で…