「砂の器」ロケ地と、動物園の惨状 知られざる新世界
- 2019/8/15
- 先人の足跡をたどる
先人の足跡 No.156(浪速区) 大阪案内人 西俣 稔
前回、新世界の成立ちと通天閣を案内しました。今回は新世界を時計廻りにご案内します。JR新今宮駅の北にある阪堺恵美須町駅、明治44年(1911)開通しました。昭和13年(1938)に地下鉄動物園前駅が、同39年(1964)に現JR新今宮駅が出来るまでは、阪堺恵美須町駅しかありませんでした。その痕跡が通天閣を中心にパリのプチシャンゼリア通りをまねた、放射線状の道の一つ、恵美須町駅前が「新世界本通」となっています。今は新今宮駅や動物園前駅からの人通りが多いですが、かつては本通が賑わっていました。
本通のアーチ門近く「新世界市場」入口前が、松本清張原作、映画「砂の器」のロケ地です。清張に「原作を越えた」と言わしめた不朽の名作で、清張の取材力に驚きます。天才ピアニスト和賀英良(扮するのは加藤剛)が「宿命」発表のコンサートで、大勢の聴衆前に満身込めた演奏を奏でる。舞台裏のラセン階段で逮捕状を手に、演奏の終わりを待つのが、今西刑事(丹波哲郎)と吉村刑事(森田健作)。今西刑事が犯人を突き止めた舞台がこの本通なのです。父親がハンセン病である過去を消すために、本名、本浦秀夫であった「和賀」は戸籍まで「和賀英良」と変えました。なぜ変えられたのか?
和賀家は、ここで小さな自転車屋を営んでいました。丁稚であった秀夫は昭和20年3月8日の空襲で、自転車屋の主人女将が亡くなり、幸い助かった秀夫は、戸籍再生(当時は自主申告で認められた)の手続きで、完全に戸籍上も過去を消しました。浪速区は空襲で95%焼失し法務局も被害に遭い、戸籍の原簿まで焼失していました。原簿がない場合は戸籍再生の手続きがあったのです。映画では、商店会会長(殿山泰司)が自転車屋を指さし「あそこですわ~二人ともええ人やったんやけどな。空襲で亡くなったもうたわ」すると今西刑事が「両親が亡くなって、子どもだけよく助かりましたね?」「子どもなんかいてはらへん、丁稚ですわ」「なに子どもがいない」…この会話が、戸籍詐称発覚の決め手となるのです。読者の皆さん、映画を観ておられると思いますが、ロケ地へ立ち観るとより臨場感が伝わります。
ロケ地を後に放射線状の道を繋ぐ路地は、昔ながらのスナック街。どの店も「会員制」と張られ、客を選んでいるのでしょう。抜けると黄色い「ラブホテル」があり、屋上に看板が。それって見えないですね。ところがどっこい、通天閣展望台から見下ろすと、「通天閣の帰りに二人の愛をどうぞ」と宣伝しているのです。私は毎日新聞連載「わが町にも歴史あり」の案内人ですが、担当記者に説明すると、記者は全て裏を取るので、「西俣さん違うで、今は『通天閣から見た、と言えば割引あり』と」。大阪の商魂逞しさとして、記しました。
新世界も空襲被害が甚大な中で、唯一戦前から残る建物が、通天閣北の映画館「国際劇場」です。昭和5年(1930)に芸妓達が踊る「南陽演舞場」として竣工し、同25年に映画館に改築。窓枠のデザインなど戦前の粋な建物が今も観られます。「南陽」とはジャンジャン町の正式名「南陽通商店街」のことです。劇場のすぐ東は天王寺動物園。現マイドームおおさか(中央区本町)にあった大阪博物場が小さな動物園を併設していましたが、大正4年(1915)本格的な動物園ができました。
戦時下ここで悲惨なことがありました。「空襲で檻が破壊され猛獣が逃げると、市民に危害を加える」との理由で、虎、ライオンなどを毒殺したことです。この理由は当時流布されていたもので、檻が破壊され動物が生き延びて逃げられるわけはなく、死んでしまいます。これは戦局が悪化するなかで、大本営発表などで正しい情報が伝わらず、悲惨な戦地と違い、本土の市民生活はのんびりしていました。そこで空襲の恐怖感をあおるために、動物を殺害したのです。飼育された人達の苦悩は計り知れません。……4年ほど前に小学生の遠足以来、初めて動物園に行きました。半日は楽しめます。オラウータンと目が合った時、ふと一晩飲み明かしたい気になりました錕 次回も新世界の続きです。