猫間川跡と、近代産業創業の町、松下幸之助起業地を訪ねる


先人の足跡 No.151(東成区) 大阪案内人 西俣 稔

JR玉造駅東にある市立玉津中学校南の道は歪に蛇行しています。森ノ宮から続く猫間川跡で、南下すると東に広大な空き地が。調べると東洋鋳物工場の跡地で、東成区も田地から工場地帯と化し、さらに宅地化した経緯が分かります。…余談ですが、みなさんのお住まいや、医院の周辺などが昔、何であったのかを調べる方法です。大阪市西区中央図書館に昭和30年後半からの、一軒一軒記載された住宅地図が閲覧できます。部分コピーもとれます。ご参考までに。… 

映画「血と骨」のロケ地となった家

亀の橋親柱、当て字で「可めの橋」と刻まれている

しばらく歩くと駐車場前の民家に、鶴橋にあやかり名付けたと思われる、「かめの橋」の小さな親柱がぽつねんと建っています。猫間川の埋立て後、民家の方が橋への感謝の気持ちとして、保存されています。高さ約50cmで、欄干もなく細い川であったことが分かります。落語家、露の五郎氏は著書「なにわ橋づくし」で、「かめの橋さん、鶴橋はにぎやかやのに、亀さん淋しいことおまへんか?」とたずねたら「カメへん、かめへん」…さすが落語家のオチですね。「亀の橋跡」南は千日前通で、両側には戦災を免れた昭和初期の家が並んでいます。その二軒、今は閉まっていますが、食堂「太陽亭」と喫茶店が梁石日ヤンソギル原作、ビートたけし主演の映画「血と骨」(2004)のロケに使われました。東へ進むと剣橋前北に「松下幸之助起業の地」の案内版が。入り組んだ道を辿ると、伝正院に地元有志が建立した顕彰碑があります。松下幸之助は明治27年(1894)和歌山県で生まれ、平成元年(1989)死去。父の事業が傾き、当時の小学校は4年制で、卒業まであと4カ月で中退を余儀なくされ、9歳で大阪へ出て来きました。碑文の趣旨です。長いですが良い文ですので引用します。

「松下幸之助起業の地」碑

此付近 松下幸之助起業の地(旧町名東成郡鶴橋町大字猪飼野)松下電器産業を興し「経営の神様」、松下幸之助氏は、9歳で母のもとを離れて大阪に出、丁稚奉公を経て15歳で大阪電灯㈱の配線工となったが、大正6年22歳の時、自ら考案した「松下式ソケット」を事業化するため退職、この場所で独立の一歩を踏み出す。四畳半と二畳の小さな工場(借家)で、幸之助と妻のむめの、義弟の井植歳男(後の三洋電機創業者)が工夫と努力を重ね、多くの困難を乗り越えて、やがて世界的大企業とする基盤はここで培われた。東成・生野(旧・猪飼野)は古代から先進的な技術者の集まった土地で、この地の「もの作り文化」は現在に至るまで数々の独創的な企業を生み、大阪の経済発展に大きな役割を果たしていた。幸之助氏がここで業を興したのも、東成・生野の地に新しい産業を受け入れるだけの、多くの先人が耕した豊かな土壌があったからにほかならない。本年は幸之助氏の生誕110年に当たる。この偉大な企業家をこの地域の「もの作り文化」の象徴・わが町の誇りとして、起業の地に顕彰碑を建立する。

(平成16年11月「松下幸之助起業の地」顕彰会)

この後、ソケットなどのヒットで手狭になり、現福島区大開へ移転し本格的な工場を建て拡張していきました。

セルロイド会館

顕彰碑を後に平野川を渡ると、登録文化財指定のレトロな「大阪セルロイド会館」が。これも、もの作りが盛んな当地の象徴です。昭和6年に北半分が建てられ、同12年に南側を増築。当時の建築界の流行を取り入れ、スパニッシュ瓦、半円形アーチ窓など昭和モダニズムの様式が観られます。地域のセルロイド業者の同業組合活動の場として利用、現在はテナントビルとなり1階にセルロイド展示室があります。

東成区も工場用地の整備、平野川の改修も行われ、ゴム、機械器具、金属、工具、鋳物、玩具、衣類など様々な工場が建っていきました。同じく東成区大今里南にあるコクヨ本社は、創設者の黒田善太郎氏が明治38年(1905)和紙帳簿の表紙を造る「黒田表紙店」として昭和11年(1936)、現在の地に本社を創設し、一大文房具店として発展しました。社名の「コクヨ」は創設者、黒田氏の郷里、越中国(富山県)の誉(ほま)れとなるように「国誉=コクヨ」と名付けました。他にもカッターで有名な「オルファ」本社も同区東中本にあります。私たちの生活に必要な様々な「もの」が造られているのも、東成区の魅力です。

次回は暗越奈良街道へ戻ります。

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