カテゴリー:保険医新聞掲載

  • 斎藤緑雨

    作家寄席集め 第8回 斎藤緑雨/恩田雅和 「明治二十三年八月二十二日」の日付を入れ、「正直正太夫死す」と読売新聞に自身の別号による死亡広告を出したのは、作家の斎藤緑雨(1868~1904)でした。時に22歳、その別号で「小説八宗」など発表し、文壇進出まもない頃でした。 この一…
  • 暗峠奈良街道と玉造、猫間川跡周辺を辿る

    先人の足跡 No.150(東成区・天王寺区など) 大阪案内人 西俣 稔 [caption id="attachment_6173" align="alignright" width="225"] 八阪神社前の「暗越奈良街道」道標[/caption] 前回の八阪神社の参…
  • 腹話術

    作家寄席集め 第7回 腹話術/恩田雅和 落語の専用小屋である天満天神繁昌亭の昼席では、落語以外の芸(色物)を毎日必ず2席入れます。 色物といいますと、漫才、浪曲、マジック、太神楽、紙切りなどさまざまにありますが、これらはみな落語の間に挟まって、要はお客さんにより落語に集中して…
  • 八王子神社、八阪神社平野川沿いを辿る

    先人の足跡をたどる №149(東成区) 大阪案内人 西俣 稔 今回は千間川跡の南、東成区に散在する神社や史蹟などを辿ります。まずは「東成」の由来から。上町台地の尾根を境に「東に生まれた(成った)」の意味で、「東生」とも書かれていました。反対側は「西成」です。文献上の初見は古く奈…
  • 志賀直哉

    作家寄席集め 第6回 志賀直哉/恩田雅和 小説の神様と言われた志賀直哉(1883~1971)は、学習院高等科に在籍していた頃、義太夫と落語に熱中していました。志賀の明治37年元日の日記に、「久本に吉花の太十と昇之助の野崎とを聞く」とあり、下谷にあった寄席小屋に行って野沢吉花と豊…
  • 大阪砲兵工廠跡、千間川跡 森ノ宮駅周辺を辿る

    先人の足跡をたどる №148(中央・城東・東成各区) 大阪案内人 西俣 稔 今回から東成区をご案内しますが、まずはJR森ノ宮駅周辺を辿ります。駅名は西すぐにある森ノ宮神社からです。正式名を鵲かささぎ森宮と呼び590年頃、聖徳太子が父の用明天皇を祀り、創建したと伝わります。朝鮮か…
  • 南方熊楠

    作家寄席集め 第5回 南方熊楠/恩田雅和 粘菌類の生物研究をはじめ民俗学、人類学など幅広い分野で業績を残した世界的な博物学者の南方熊楠(1867~1941)は、若い頃寄席に通い、落語にも通暁していました。 [caption id="attachment_5853" ali…
  • 和洋のレトロ建築、地車の発祥、岸和田城天守閣周辺を辿る

    先人の足跡をたどる №147(岸和田市) 大阪案内人 西俣 稔 前回の「五風荘」の南に、大正末期に建った十六軒長屋があります。大阪市内にも長屋はありますが、これだけ連なるのは見たことがないです。四軒ごとに空地があるのは、火災の際に類焼を防ぐためです。レトロな「高名ラジオ店」の看…
  • 水原秋櫻子

    作家寄席集め 第4回 水原秋櫻子/恩田雅和 「寄席の灯のともりあはせぬ盆の市」。水原秋櫻子しゅうおうし(1892~1981)が、昭和8(1933)年12月に刊行した句集『新樹』に収めた句です。 [caption id="attachment_5848" align="al…
  • こなから坂・吉田松陰滞在地・蛸地蔵 岸和田城下町を辿る

    先人の足跡をたどる №146(岸和田市) 大阪案内人 西俣 稔 前回は鍛冶屋町などをご案内しましたが、いよいよ岸和田城内へ入ります。敵の侵入に備えカギ型に曲げた堺口門跡を入ると、本町で城下町の中心地です。すぐに内町門跡でここもカギ型で二重に防御していました。街道筋ならではの和菓…
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