カテゴリー:過去の連載
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先人の足跡をたどる №124(住之江区) 大阪案内人 西俣 稔
熊野街道の神社仏閣の話しが続きますが、一旦住吉大社に戻り、南海粉浜駅や高燈籠周辺をご案内します。住吉区と隣接する住之江区は北が南海電車、南が阪堺電車の軌道が境界となっています。昭和49年(1974)に人口増加で住吉…
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先人の足跡をたどる №123(住吉区) 大阪案内人 西俣 稔
前回の浅沢社向いに「ニットーレコード」がありました。大正9年(1920)に日東蓄音機株式会社が設立され、蓄音機とともにレコードを発売、その収音は「道頓堀行進曲」やエンタツ・アチャコ、桂春団治の落語、浪花節、義太夫、宝…
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先人の足跡をたどる №122(住吉区) 大阪案内人 西俣 稔
[caption id="attachment_4623" align="alignright" width="112"] 「旧東成郡西成郡境界」碑[/caption]
閻魔地蔵を後に緩やかな坂を少し上がる…
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先人の足跡をたどる №121(住吉区) 大阪案内人 西俣 稔今回は住吉大社境内の珍しい燈籠の話からです。「大阪」の地名は現在の大阪城の所に、浄土真宗の八代法主蓮如が1496年、石山本願寺を建立しました。その際「(石山本願寺が)大坂トイフ在所」と記されているのが、文献上の初見です。…
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先人の足跡をたどる №120(住吉区) 大阪案内人 西俣 稔今回から住吉区を訪ねます。南海電車住吉大社駅を降りると燈籠が建ち並び、阪堺電車の向こうに、鳥居を通し太鼓橋が見えます。まずは鳥居を前に明治16年頃(1883)にあったことから。……鳥居前は紀州街道で、着物を着た40歳頃の…
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先人の足跡をたどる №119(東住吉区・大阪狭山市)駅名となった「針中野」と今川の源流であった狭山池 大阪案内人 西俣 稔今川の平等橋を後に西へ少し歩けば曲がった村道が通り、大正3年(1914)建立の道標に、「はりみち」「でんしゃのりば」と刻まれています。駅名や町名となっている針…
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先人の足跡をたどる №118(東住吉区)▼駒川の文化橋を後に少し東へ歩けば、近鉄南大阪線今川駅。駅を越えると、町名が西今川に変わり、300m程先に今川が流れています。駒川とほぼ平行に流れ、1700年頃までは狭山池が水源で西(にし)除(よけ)川の下流でしたが、大和川付替えで水流が途…
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先人の足跡をたどる №117(東住吉区)▼「模擬原爆碑」を後に長居公園東通の北に、阪神高速松原線が見えます。みなさん現在の地図を開いてください。松原線の西端は西成区北天下茶屋、阪堺電車今池駅の手前まで通じ、一方東端は平野区平野本町まで通じています。南海平野線廃線跡に高速が通された…
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先人の足跡をたどる №116(東住吉区)▼前回の法楽寺を後に北西へほんの少し歩けば、桃ヶ池の渕に小さな「神馬(しんめ)塚」が建っています。住吉大社の神馬は代々、田辺村で飼育していました。説明板によると、神功皇后が朝鮮半島から見事な白馬を、持ち帰り住吉大社で飼育していましたがある日…
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先人の足跡をたどる №115(東住吉区)▼前回の山阪神社を北へ辿り、旧南田辺村の四辻に立つと道がずれて交わり、どの道も真っ直ぐ通らず見通しが悪くなっています。よそ者や不審者が入り込むと、迷うような仕掛けなのです。江戸時代の村民は自ら村を守るために、漢数字の「五」で道を通しました。…
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