現在、新型コロナウイルスが国民の生活に大きな影響を及ぼし、様々な意見が飛び交うなかで、政府の対応が注視されています。そこで、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所理事長の上昌広先生に今日本が抱えている問題について、ご意見を寄稿いただきました。
新型コロナウイルス感染が拡大している。日本にもアメリカ疾病対策センター(CDC)のような組織が必要という声が挙がっている。本稿では、この問題を論じたい。
結論から言うが、私は日本版CDCは不要と考えている。この問題を論じる際のキーワードは、国立感染症研究所(感染研)、東京大学医科学研究所( 医科研)、国立国際医療研究センター(医療センター)、そして東京慈恵会医科大学(慈恵医大)だ。
対策会議構成員の大多数が4施設の関係者
政府の「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」は12名のメンバーで構成されるが、日本医師会などの充て職を除くと、9人中8人が前述の4施設の関係者だ。
2月13日の第8回新型コロナウイルス感染症本部会議には「新型コロナウイルス(COVID-19)の研究開発について」という資料が提出され、緊急対策として総額19.8億円の措置が提案された。内訳は感染研に9.8億円、日本医療研究開発機構(AMED)に4.6億円、厚労科研に5.4億円だ。
資料には、AMEDや厚労科研を介した委託先の名前と金額も書かれている。感染研12.2億円、医療センター3.5億円、医科研1.5億円だ。さらに感染研と医科研で9千万円だ。総額18.1億円で予算の91%を占める。予算を決めるのも、執行するのも同じ組織ということになる。
この資料の目次には「資料3 健康・医療戦略室提出資料」と書かれている。健康・医療戦略室を仕切るのは、国交省OBの和泉洋人室長(首相補佐官)と医系技官の大坪寛子次長だ。最近、週刊誌を騒がせているコンビが、この予算を主導したことになる。
大坪氏の経歴も興味深い。慈恵医大を卒業し、感染研を経て、厚労省に就職している。
なぜ、このようなグループが仕切るのだろうか。歴史的な経緯、特に帝国陸海軍が関係する。一体、どういうことだろうか。
医療研究の歴史を辿る―軍部との深い関わりが浮き彫りに
まずは感染研だ。その前身は1947年に設立された国立予防衛生研究所(予研)である。予研は戦後GHQの指示により、伝染病研究所(伝研)から分離・独立した。伝研は現在の医科研だ。
戦前、伝研を支えたのは陸軍だった。伝研は、1892年に北里柴三郎が立ち上げた民間の研究機関だ。1899年に内務省主管の国立伝染病研究所となる。
伝研の性格を変えたのは、1914年の伝研騒動だ。内務省から東京大学に移管が決まると、北里は退職し、職員も従った。困った東大が頼ったのが、当時、陸軍医務局長だった森鴎外氏だ。森氏は軍医を派遣し、伝研を支えた。伝研は陸軍との関係を深めていく。戦後、分離された感染研の幹部には、陸軍防疫部隊(731部隊)の関係者が名を連ねている。
医療センターの前身は何だろう。明治元年に設置され、1936年には東京陸軍第一病院と改称された陸軍病院だ。
慈恵医大は、どのように絡むのだろうか。キーパーソンは高木兼寛氏だ。高木氏は薩摩藩出身の医師だ。薩摩藩出身者が仕切る海軍に出仕し、最高位である海軍軍医総監を務めた。また、慈恵医大の前身である成医会講習所を立ち上げた。慈恵医大は海軍との関係が深い。明治期の海軍軍医総監の大部分は成医会講習所の関係者だ。
軍部と医療との歴史的な関わりがもたらすもの
このように考えると、今回の専門家会議のメンバーは、帝国陸海軍と関わりが深い組織の関係者で占められていることがわかる。敵軍と対峙することが前提である軍隊には情報開示は求められないし、戦地では全てを自前で調達しなければならない。
その影響は現在も残っている。例えば、インフルエンザワクチンの製造だ。帝国陸海軍は伝研と協力して、ワクチンを確保した。現在もワクチンの製造・供給体制は、他の薬剤とは全く違う。数社の国内メーカーと感染研が協力する「オールジャパン」体制だ。
今回も同じ事が起こっている。その象徴が遺伝子検査(PCR)だ。独自開発の自前主義にこだわり、十分な量を提供できなかった。
CDCは軍隊との関係が強い。米CDCは、第二次世界大戦後に国防省のマラリア対策部門の後継機関として立ち上がったものだ。現在、強力なCDCを有するのは米国と中国だけだ。
CDCとは政府と独立して機能する専門集団だ。情報開示の圧力を避け、独走することが可能になる。果たして、そんなものが日本に必要なのだろうか。冷静に議論すべきである。