開高 健

作家寄席集め 第34回 開高 健/恩田雅和

大阪の人、開高健(1930~1989)の文学碑が、大阪市東住吉区の近鉄北田辺駅前に建立されています。碑文には、「昭和13年に一家は北田辺へ引越すことになるが、当時はこのあたりは大阪市の南の郊外であった。」など、開高の自伝小説『耳の物語 破れた繭』の一節が引かれています。

サントリー入社後の東京で、文芸雑誌に短編小説「パニック」を発表。120年ぶりに野ネズミがネズミ算的に繁殖して人家を襲うという、現今のパンデミックを連想させる処女作で、開高は一躍注目されました。翌昭和33年、「裸の王様」で芥川賞を受けましたが、エッセイ「地図を持たない旅」によると、開高はこのあとマスコミに攻めたてられて「一年ほど一字も書けなく」なりました。

「ラブレ、スウィフト、関西落語、西鶴など、手にふれたものことごとく足がかりにして沼からやっと顎をあげて」書いた長編小説が、破壊された大阪陸軍造兵厰を舞台にした『日本三文オペラ』でした。アパッチ族といわれた無法集団がどさくさに紛れてそこのスクラップを略奪する話ですが、「代書屋」「商売根問」でなじみの、川で鉄屑を探す〝がたろ〟を出したり、入手したブツの処分先を府庁に相談する件は、まさに「ぜんざい公社」を地でいくものでした。

次に書かれた長編小説『ロビンソンの末裔』は敗戦後の北海道に開拓農民が集団移住して苦労に苦労を重ねる話で、ここでは「今朝は風がきつくて小石がパラパラ障子から入ってきたというのを落語でサゲるじゃありませんか。コンチョウライ、フーソクゲキジン、ショウセキ、ランニュウす……」と、「延陽伯」のセリフがそのまま取り入れられている会話がありました。

開高といえば、『輝ける闇』『夏の闇』のモチーフとなったベトナム戦争、『オーパ!』シリーズの世界的な釣り紀行などがよく知られています。しかし、東西の落語を比較した知見が、『耳の物語』の第2集『夜の陽炎』にさりげなく披瀝されていました。「ちょうど散歩にいいぐらいの距離のところに水天宮があり、その近くに寄席の『末広』があるので、ときどきウィスキーのポケット瓶をズボンの尻ポケットにねじこんで出かけた。」「青弟子の三文芸を聞いているうちに、上方落語のネタが江戸落語になると、ユーモアがウィットに変り、開いた笑いが閉じた笑いになり、全身の笑いが頭の笑いになるというようなことが読みとれたし、聞きとれた」。

昭和45年に閉場した人形町末広に、開高はよく通っていたようです。


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