小島 政二郎

作家寄席集め 第31回 小島 政二郎/恩田雅和

人妻椿ひとづまつばき』『新妻鏡にいづまかがみ』などの大衆小説で一世を風靡した小島政二郎(1894~1994)は、三遊亭円朝ら落語家や講釈師を題材にした作品も多く残しました。

昭和十年代に発表された『人妻椿』と『新妻鏡』は共にすぐ映画化され、殊に『新妻鏡』は佐藤惣之助作詩、古賀政男作曲の主題歌がヒットしたこともあって、戦後も再映画化、さらに四十年代まで数度にわたってテレビドラマ化されて主婦層を中心に親しまれました。

東京下谷の呉服商の家に生まれた小島は、慶応義塾大学在学中から「三田文学」に関わり、卒業後は母校で教壇にも立ちました。大正11年、五代目神田伯龍が実家を飛び出し、迷いながら講釈師に弟子入りして苦難の末に芸を確立する中編小説「一枚看板」を書き上げて文壇に認められました。

ほぼ同じ頃、師匠との夫婦仲が悪くなった曲師おはまを助けて九州に駆け落ちし、現地で人気爆発した浪曲師・桃中軒雲右衛門を描いた中編小説「おはま」も書いて、小島は芸界の人間模様を多彩に浮き彫りにしました。

昭和に入って小島は大衆小説に新機軸を打ち立て、たくさんの読者を獲得しましたが、芸界への関心は依然持ち続けていました。昭和32年から33年にかけて週刊誌に連載された長編小説『円朝』は、近代落語の創始者・三遊亭円朝の一代記で、大衆小説と芸界を結び付ける小島の集大成的な作品になりました。

その冒頭で、小島は大工棟梁だった祖父利八の思い出を語っています。「小学校へ上ったか上がらないかの私を寄席へ連れて行って、講談、落語の面白味を教えてくれたのもこの祖父だ。私がまがりなりにも、名人円朝の人情話をおぼろげながら知っているのも、この祖父のお陰だ。そればかりでなく、祖父は円朝と幼友だちで、寺子屋が一緒だった。」

円朝が父親の落語家・円太郎の道楽に手を焼き、苦労するのを陰に陽に手助けしたのが他ならぬ利八で、小島は円朝の出世話を記しながら自身の祖父のこともまた語っているのでした。つまり円朝の評伝が小島の原点である自叙伝に近い形で成立した作品が、『円朝』でした。

小島が晩年に雑誌連載したエッセイ「八枚前座」は、過去に見た名人たちの芸談に終始していて、昭和五十年代の落語界について「既に落語も亡びているも同然」と慨嘆していたのが印象的でした。


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