ユーモラスな人物画や簡潔な線の挿絵などで親しまれたイラストレーターの和田誠(1936~2019)が亡くなって、10月7日が1周忌でした。

和田は週刊誌の表紙絵描きなど長年の本業のほか、映画にも造詣が深く、「麻雀放浪記」(1984年)など話題作の監督をし、映画評論にも健筆をふるいました。

そんな和田は1974年頃から雑誌に求められて、新作落語を発表していました。侍が骨董屋で奇妙な物を買い、物の正体を知らない骨董屋主人と値段のやりとりをする「空海の柩」、キネマ・キチベエという映画にやたら詳しい男が映画を地ばなし形式で語る「杵間吉兵衛」、長屋の連中と大家が冬場に闇汁をして嘆きあう「闇汁」、『鬼の目に涙』『来年のことを言うと鬼が笑う』など鬼の出てくる諺や言い回しがたくさん盛り込まれた言葉遊びの「鬼ヶ城」、『荒海や佐渡によこたふ天河』など松尾芭蕉の数々の名句をパロディにした「荒海や」があります。

驚くことに1974年に、以上の5編が順に五街道雲助、夢月亭歌麿、入船亭船橋、柳家小三治、春風亭小朝といった豪華出演陣によって演じられる「和田誠寄席」が一夜限りに開催されていました。そして、その夜の模様から4編を収めた二枚組のライブ盤がビクターでレコード化され、発売されました。

この「和田誠寄席」の直後に、和田はイラストレーター仲間の山藤章二と雑誌用に対談し、新作落語を書いたいきさつを述べています。「まったく新しい落語を作り出そうという気はなくて、しかも演じて貰うという気さえなくて、落語という形式だけをいただいて、いわばパロディ的な精神でもってSFを書いてみたいと思っただけなのね。それが『空海の柩』なんだけど。」

また少年時代に誰が好きだったかと問われて、春風亭柳橋から入ったと答え、そのあと「ぼくは急に志ん生に行ったね。それから延々と死ぬまで志ん生だった。」と、好んだ落語家の名をあげ、「ほとんどラジオで聴いてたんだけど。うちのおばあちゃんが演芸好きで、歌舞伎に連れてったり、寄席に連れてったりしてくれたんで。」と落語への思い入れも語っています。

志ん生といえば、和田は最晩年の志ん生の姿に間近に触れたことがありました。作家の山口瞳が仲間内20人ほどを集め、神田の鰻屋二階に志ん生を呼んで大津絵を歌ってもらったところに同席したもので、2011年刊の『五・七・五交遊録』に、「大津絵のあとの哀しき鰻かな」と和田自作の俳句を残していました。


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