作家寄席集め 第36回 幸田 露伴/恩田雅和
尾崎紅葉とともに日本近代文学の「紅露時代」を築いた幸田露伴(1867~1947)は、明治から昭和にかけて息の長い創作活動を続けました。
東京の下谷に生まれた露伴は、十代の後半に電信技師として北海道の余市に赴任しましたが、二十歳頃帰京、執筆生活に入りました。
恋人の面影を抱いた仏師が一念に仏像を彫ったら肉身に変ずるという「風流仏」を22歳で書き、馬鹿ののっそり十兵衛が親方の源太と造立を争い、大嵐でもびくともしない五重の塔を作り上げるという、露伴の代表作「五重塔」は24歳の作品です。
この間の23歳の折、露伴は「落語真美人」を発表しています。
正真正銘の美人を探し求めて旅に出た男が、出会った田舎親爺から聞かされたのは「富山の奥の樵夫の娘」、4歳にならぬ幼児がそれという、落語のオチのような結末の話です。
露伴の数多の小説作品中でタイトルに落語と付けられているのは他に見当たらず、落語の台本としてこの作品を書いたものと思われます。
明治36年、露伴が東京帝国大学で講演した速記が、「滑稽談」の題で残されています。
そこでは露伴が文献で知った初代の三笑亭可楽と林屋正蔵が言及されていますが、落語「金明竹」についても「是は今でもたまには話すことで、私ども子供のときには度々聴いた話であります」と述べています。
演目の知識も相当あったことがうかがえ、昭和13年から書かれたエッセイ「蝸牛庵聯話」には落語「千早ふる」に触れたくだりもありました。
露伴作品と落語との関連でいえば、昭和14年の「雪たたき」が見逃せません。
下駄に挟まった雪を落とそうと小門の裾板に「トン、トン、トン」と打ち付けると偶然に門が開いて女の手で中に引き入れられて物語が展開するこの小説と、落語「雪とん」との趣向がそっくりです。
「雪とん」は今ではほとんど聞かれなくなりましたが、明治23年刊行の文献に麗々亭柳橋による速記が載っています。
露伴がこの速記に目を通していた可能性が捨てきれませんが、もう一つあの「五重塔」にも考えられる粉本があります。これも、今は演じられる機会がなくなった落語「馬鹿竹」です。
世間に入れられず馬鹿竹と言われている大工の竹次郎が棟梁と請負を競って作り上げるのが谷中天王寺の五重塔。これを契機に馬鹿竹が立派な棟梁になる話で、露伴の「五重塔」と舞台も同じです。
明治後期の翁家さん馬によるこのネタの速記があるそうですから、露伴文学を研究する上でこれらを比較検討することが今後の課題となるでしょう。