山田風太郎

作家寄席集め 第3回 山田風太郎/恩田雅和

兵庫県但馬地方の医家に生まれ、東京医科大学在学中に推理小説誌に懸賞入選し作家デビューした山田風太郎(1922~2001)は、昭和33(1958)年に連載を開始した「甲賀忍法帖」などの忍者もので一大ブームを引き起こしました。特に昭和40年代、風太郎原作による忍者、忍法ものの映画やテレビドラマが頻繁に見られたことから、彼は忍法もの作家のイメージがいまだに強いかもしれません。

山田風太郎

しかし初期作品が江戸川乱歩に認められていたように、風太郎は探偵小説、推理小説も書き続けていて、もう一方で明治開化期に焦点をあてた伝奇小説シリーズのいわゆる明治ものを書き残していたことは見逃せません。

昭和48年から書き始められた「警視庁草紙」は、初代警視総監と部下の警部、巡査が江戸の心を保持する元南町奉行所の同心らと事件を通して知恵比べするというスリリングな長編小説です。

その「警視庁草紙」は「明治牡丹灯籠」の章題から書き起こされていて、近代落語の祖、三遊亭円朝が事件のカギを握る人物として設定されています。円朝の隣家の若い浪人が変死し、円朝夫婦も忽然と消えたので当然円朝に疑いの目が向けられます。そこを元南町奉行所一派が警視庁側をけむに巻いて救い出し、意想外なことに警察関係の高官の集まりに円朝本人が現れて一席語り出します。「ただ、ほんとうの話だけに、話すあたしも怖ろしゅうございます。その怖ろしさが、お上の荒武者さまがたにどこまで通じまするか、通じますれば題は未定のお帰りと申しあげたいが、ただいまのところは題しまして怪談牡丹灯籠」。円朝の「怪談牡丹灯籠」は明治11年に実際に口演されますが、小説はその2年前の出来事としていますので、作者は世に名高い作のパロディをこの章で書いていたのでした。

円朝は「警視庁草紙」のこの後の章の寄席五林亭が出て来る箇所にも顔を出しますが、明治もののもう1つの代表作「幻燈辻馬車」ではさらに詳しく描かれます。元会津藩士の馭者が走らせる辻馬車に有名無名の人物を乗せて事件が巻き起こるこの小説でも、最初の章で早速に円朝は書かれます。それも弟子の橘家円太郎が師匠を乗せようと辻馬車に声をかけたのが、きっかけでした。「橘家円太郎師匠でござりましょう?円太郎馬車でお名を売られた方に乗っていただいたのは甚だ光栄で」「実は、寄席で、円朝師匠の怪談を拝聴したことも何度かござります。どうやら師匠は、幽霊は気のせいか、それとも何ぞしかけがあるというお心持ちらしいが、それにもかかわらず、実にぞっといたしました。あれは大した芸でござりまするなあ」。

この頃円太郎は高座でラッパを吹いて人気をさらっていて、そのラッパが乗合馬車の吹くラッパと同じだったため、逆に乗合馬車のことを円太郎馬車と呼ばれていました。このように作者は円朝の弟子についても記していますが、別の章では、当時の東京曙新聞の記事として、家出中の円朝の息子、朝太郎が巾着切の一団に誘い込まれて拘引されたことも紹介しています。山田風太郎はよほど円朝に関心が深く、不世出の落語家のいろんな角度での小説化を試みていたと思われます。

古今東西およそ900人の死に際を凝視した、晩年のライフワーク「人間臨終図鑑」には、円朝はもちろんのこと、古今亭志ん生、桂文楽、柳家金語楼、三遊亭歌笑といったところまで記録されています。風太郎の落語家への関心は、決して円朝一人だけに向けられていたものではなかったことも分かります。


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