池波正太郎


作家寄席集め 第11回 池波正太郎/恩田雅和

今なお根強い人気を誇る時代劇ドラマの原作者、池波正太郎(1923~1990)の代表作は、『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』の三大シリーズです。これらの作品は、テレビドラマのほか映画化、舞台化もされ、主人公役はその時々のスターたちがそれぞれに務めてきました。

このうち『剣客商売』の主人公・秋山小兵衛には、モデルがありました。歌舞伎役者の二代目中村又五郎がそれで、池波自身が中村又五郎に聞き書きした評伝『又五郎の春秋』にいきさつが記されています。

それによりますと、この評伝の書かれる「二十年ほど前の、京都の寺町にある古書店において」のことでした。「黒いソフトをかぶり、これもダークなコートをきっちりと着て、古書を漁っている又五郎の風貌は、京大の歴史か国文学の教授のような趣があった」そうで、「一種いうにいわれぬ風格が醸し出されて、私は書棚の蔭から又五郎を密かに観察し」ていました。後に、父子の剣客が活躍する『剣客商売』の父の風貌を決めるとき、最初に脳裡に浮かんだのがあの京都の古書店で「はじめて見た中村又五郎の姿」でした。

初めて見る他人の何気ない姿に役作りを教えられるというのは、歌舞伎を題材にした古典落語「中村仲蔵」にあります。「忠臣蔵」五段目の定九郎役をふられた仲蔵は、何か工夫はないものかと願掛けした帰途、雨宿りしたそば屋で偶然に入ってきた浪人者の風貌に目を留めます。黒羽二重の紋付に五分の月代、大小を落とし差しに尻はしょり、破れた蛇の目傘の半開き。「これだッ」と直感した仲蔵がその風貌をそのまま舞台に移して大きな評判を取ったのは、お馴染みのストーリーです。

中村又五郎をモデルにしたのは、この「中村仲蔵」がヒントになっていたからと思われてなりません。同じ『又五郎の春秋』の中で、終戦直後、日本の伝統芸術が滅び去る懸念と立ち直りの希望を回想した箇所があります。池波は落語についても語っていました。「いまは亡き桂文楽の、戦後はじめての独演会が人形町の〔末広〕でおこなわれ、スケに出て、水を得た魚のように溌剌たる芸を見せた柳家三亀松や、大好きな文楽の〔王子の幇間〕や〔明烏〕や、至芸を惜しむところなく発揮した〔心眼〕のすばらしさは、いまも忘れない」。

池波が桂文楽ファンだったのは少年時からのことで、浅草に住んでいた小学5年生の頃、上野の鈴本演芸場によく出かけました。「その夜も、文楽が出て来ると、私は夢中で手を叩き、『よかちょろ演って』と、注文をした。すると文楽は、(おや?)というように、私を見下ろして、『坊や。そんなことをいっちゃいけません。そんな、あなた、ませたことをいうと、お母さんに叱られますよ』あきれたように、いった。申すまでもなく、落語の『よかちょろ』は、商家の若旦那が吉原の花魁に夢中になるはなしである。客が、どっと笑う。『よかちょろ演って』と、また、私が叫ぶ」(『小説の散歩みち』朝日文庫)。結局、文楽が折れて、池波少年のリクエストに応えて廓噺を演じました。

滑稽噺から人情噺に廓噺まで、池波は小学生のときより寄席でよく聞き込んでいたことがわかります。好きな落語家は文楽だけではなくて、古今亭志ん生もそうだったようです。「株屋にいた頃は、あなたのお父さんの噺を聞きに寄席にも行きましたがね、あのころの志ん生さんはまだ若くて、戦後の芸とは違って、ものすごい迫力と熱気があった」(古今亭志ん朝との対談「〝普通の人〟の感覚でないといい仕事はできない……」『週刊読売』1979年5月6 日)と、ドラマ「鬼平犯科帳」「剣客商売」の両方に出演した志ん朝に、父志ん生の思い出を述べていました。

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