第4回 福井県の山中に隠された旧日本軍の略奪財宝

作家、トレジャーハンター 八重野 充弘

埋蔵金伝説はいくつかにパターン分けできる。数の多い順に、○○長者の遺宝、敗軍の将の再興資金、江戸時代の豪商の隠し財産と続き、その次あたりにランクされるのが、太平洋戦争の最中か終戦直後に、旧日本軍が海外から持ち込み処分に困って隠したものだ。

実際に東京の隅田川河口で、大量の金やプラチナが見つかったこともあり、未発見の財宝もかなりあると思われる。しかし、話が生々しすぎてロマンが感じられないので、筆者はあまり関心がなかったのだが、1997年の暮れに出会ったある人物の情報によって、この種のターゲットに初めて挑むことになった。

場所は福井県敦賀市。終戦までここには陸軍の敦賀連隊が置かれていたが、日中戦争下の昭和15年に大陸から持ち込んだ相当な数の美術工芸品を、連隊がビルマなどに移駐する直前の昭和19年に山中に隠したという。その価値は約3億円(当時)。

トンネル内部から入り口を見る。この奥に隠されたとみられる財宝の価値は、昭和19年当時3億円とすると、今は約600億円?

命がけの調査開始

この話は、将校の一人が下宿先の旧家の主人に伝え、戦後しばらくしてから捜索が始まったのだが、最初は何の手がかりもなく、途中から鉱山技師で付近の山を知り尽くすT氏が仲間に加わった。そのT氏が埋め戻されたトンネルを発見し、以後、探査グループの最後の生き残りとして、断続的に調査を行ってきた。しかし決定的な成果はなく、年齢を重ねて継続が難しくなったため、筆者に助力を求めたのだった。

現場に案内してもらうとそこは身震いするほどリアリティが感じられる場所だった。ただ、途中の縦坑は土砂に埋もれ、天井も今にも崩れ落ちそうだった。命がけになるのは必至だが、T氏同様筆者も真実を突き止めたい思いがつのった。

そこで、安全に調査を進めるため、大阪で子どもたちにアウトドア活動の指導をしているグループに協力を求めることにした。1回につき3泊程度のキャンプを前提に、長期戦を覚悟しなければならないからだ。

段取りをつけるとともに、筆者はT氏に2つの条件を提示した。財宝を発見した場合には公表すること。そして、物件の由来を調査をしたうえで、当該国に返還すること。T氏はもちろん合意してくれた。

それから4年間、苦難の調査が続いた。多いときは年に4回、東京から車で6、7時間かけて現地入りし、大阪のグループと合流。若い人が多いので助かったが、標高800メートルの調査地点まで、工具類、電源、食料と水を運び上げるのはたいへんなことだった。しかも、狭いトンネルの中で、体を折り曲げ汗と泥にまみれてのみや槌を振るうのだ。

写真右側に、石を積み上げたような人工的な感じのするところがある。宝蔵の入り口はここか。

その結果、トンネルの最奥部までは辿り着くことができた。途中、四角い石を積み上げて漆喰のようなもので固めた形跡のある箇所が見つかっている。トンネルの脇に空洞を掘って宝蔵をつくり、入り口を塞いだように思える。

あともう少し。その手応えはあるのだが、実はそこで作業が中断し、10年以上が経過している。落盤と酸欠の危険に加えて、付近にクマが出没するようになったからだ。

しかし、方法は必ずあるはず。今は懸命に再開のための秘策を練っている。


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