作家、トレジャーハンター 八重野 充弘

スチーブンソンの名作『宝島』のモデルは、17世紀末に実在した海賊ウィリアム・キッドだ。彼は奪った財宝を一時的に最寄りの島に隠す習癖があり、北アメリカの大西洋岸の複数の場所で、それらしいものが見つかっている。しかし、キッドの財宝が日本の宝島という名の島に隠されているといっても、本気にする人はまずいないだろう。

この伝説の発端は、昭和12年に外務省に舞い込んだ1通の手紙である。差出人はアメリカの探偵で、「キッドが描き残した地図の一枚は、日本の南方の島と思われる。時価1億ドル以上の財宝が隠されているらしいので、探されたらいかが?」という内容だった。

外務省の役人は取り合わなかったが、新聞記者がこれを嗅ぎつけ記事にした。見出しは「日本にあるぞ!宝島」(読売)、「モダン宝島奇談」(東京日日)となっているが、単に「Treasure Island」を直訳しただけで、実存する宝島を指しているわけではない。それがいつのまにか、鹿児島県のトカラ列島にある宝島と結びつけられたようだ。

宝島の全景(東から)

筆者もこの話は知っていたが、調べる価値のあるものとは思わず、2006年に日本テレビの「24時間テレビ」で、現地から宝探しを生中継したいという相談があったとき、最初は(視聴者をシラケさせずに見せる方法があるだろうか)と首をひねった。ところが、スタッフが手に入れてくれた、地図のディテールが載っているアメリカの雑誌を見てびっくり。実際の宝島そっくりだったからだ。南北に連なる山、東側に発達した珊瑚礁とその内陸の砂丘、ヤシの群生など、島の特徴がことごとく一致していた。

現地で探索開始―海賊の記録も

俄然本気になった筆者は、その年の6月に鹿児島から船で13時間かけて渡島した。現地で知って驚いたのは、島には元禄11年に外国の海賊がやって来て、島民に危害を加えた記録が残されていたこと。元禄11年は1698年、キッドが捕まる前の年だ。

財宝を隠した「Death valley(死の谷)」は、島の南部と思われる。見晴らしのいい丘からそれらしい場所も見つけた。地図の下方にある「18NE:by71W:on Rock 26ENE:by18SW:Palm」は、宝蔵までの基点と方角、距離にちがいない。筆者はこれを「岩から北東へ18、西へ71」辿ると次の基点であるヤシの木に達し、そこから「東北東へ26、南西へ18」進むと宝蔵に辿り着くと解釈した。宝蔵のサイズは「7feet by 7feet by8」だ。18や71の単位は、歩数、フィート、ヤードなど何通りか考えなければならない。

キッドが描き残したと伝えられる宝島の地図

ほどなく、最初の基点と思われる岩を発見。そして第二の基点、ヤシ科のビロウの大木も。どうやら単位はフィートでよさそうだ。最終地点は牧場の中の笹が生い茂った、白い岩がゴロゴロ転がる場所だった。探査機で調べると空洞らしい反応もある。

筆者が財宝の埋蔵地と狙いを定めた島の南部の風景

タレントとスタッフ、そして120名の島民が固唾をのんで見守る中、重機が動き始めた。しかし、残念ながら半日かけた発掘の成果はなかった。

それから早15年が過ぎた。本格的な発掘調査が行われたのは、後にも先にもこのときだけで、キッドの宝探しはいわば始まったばかり。基点を別にとるとか、単位を変えてみるとか、やるべきことはいろいろある。今はひたすら次の機会を待っているところだ。


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