新型コロナ感染拡大に関して、未だ収束の目途が立たない中、世の中全体が暗い雰囲気に包まれています。そうした中で「たまには日々の診療を忘れ、明るくなるような記事を読みたい」という要望が届きました。そこで、作家でトレジャーハンターの八重野充弘氏による「夢とロマンの宝探し」の連載を毎月15日号で掲載します。先生方の「夢とロマン」を思い出していただければ幸いです。

今回からご紹介するのは、日本の地下にまだ眠っているかもしれない宝の話。筆者は47年にわたり埋蔵金の調査を行ってきたが、全国に伝わる数多くの伝説の中から、実在する可能性のあるものを5つほどに絞り込み、現在も調査中である。

第1回は「徳川幕府の埋蔵金」。日本で最も有名な伝説になった理由はいくつかあるが、第一に、これまで探索に関わった人の多さで群を抜く。明治初年から今日まで、ひっきりなしに探索が続けられ、とくに1990年から数年間、TBSテレビが番組のために行った大がかりな発掘は、この伝説が全国区になるきっかけとなった。重機で掘るところを見せるだけの番組が、常時高い視聴率をあげ、いまでも覚えている人は多い。ただし、あれは昭和初期の国家レベルの大発掘の跡をなぞっただけで、御用金が見つかるはずはなかった。

テレビにかじりついていた人の中には、あの結果を見て徳川の埋蔵金は幻だと断じてしまった人もいるようだが、それは違う。埋蔵計画は確かに実行に移されたようだし、すべてではないにしても、一部はまだ未回収と考えられるのだ。

筆者自身の徳川埋蔵金との関わりも40年以上。そして今、以下のような仮説を立てている。

幕府は当初、400万両の御用金を江戸から赤城山麓に移し、埋蔵するつもりだった。そのための下準備も行った。しかし、赤城は軍事的に不利と判断し、計画を変更。やっとかき集めた数十万両程度を、赤城より北方の地に分散して埋蔵した。

そう考えれば、現在の昭和村、みなかみ町、片品村などに残る、幕末の目撃談の説明がつく。武士団が川舟から重たそうな荷物を陸揚げしていたとか、馬や牛の背に荷物を背負わせて運んだなどという伝承が、各地に残っている。これまで、多くの人を惑わしてきたのは、計画段階で漏洩した情報だろう。実際には計画通りには行われていない。

金山跡の大規模な坑道

筆者は地元在住の仲間とともに情報を集め、調査を続けてきたが、30年ほど前にある老人から有力な証言を得た。片品村の山中にある昔の金山跡に御用金の一部が隠されており、本人が昭和30年代に坑道の奥で16個の千両箱を発見し、うち1個だけは回収したが、同行した仲間が縦坑に落ちて救出できなかったため、残りはそのままになっているというのだ。

麓の村には、慶応4年3月、牛8頭の背に千両箱を2個ずつ積ませて、武士団が山中に分け入っていったという目撃談が残っているし、幕末のころは、金山まで牛が歩けるくらいの道が通じていた。老人はその場所まで案内してくれたが、30年前は坑口がふさがり中に入ることができなかった。筆者は老人の死後もその話を信じて作業を続け、ようやく入り口を見つけて坑道内に入ることができたのは今から10年ほど前のこと。しかし、残念ながらまだ千両箱は見つかっていない。金山跡は思ったより規模が大きく、水没している坑道もある。内部をくまなく調べるにはもう少し時間がかかりそうだ。

千両箱が積まれていたと思われる縦坑の底を探る

作家、トレジャーハンター
八重野やえの 充弘みつひろ

1947年、熊本県生まれ。立教大学社会学部卒。学習研究社、くもん出版でおもに子ども向けの雑誌の編集に携わりながら、1974年に天草四郎の隠し財宝の調査に着手、以後、徳川の埋蔵金など全国各地の伝説を調べ、実際に発掘調査を行った場所も10数カ所に上る。まだ発見したものはない。著書は『日本の埋蔵金100話』『埋蔵金伝説を歩く~ぼくはトレジャーハンター』『埋蔵金発見!解き明かされた黄金伝説』など。趣味は映像制作。


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