第2回 恐竜から始まって いた抱卵行動

国立科学博物館・標本資料センター長
分子生物多様性研究資料センター長
真鍋 真

ロイ・チャップマン・アンドリュース隊は、1923年から数年間にわたり、ゴビ砂漠での調査を行い、数々の発見を続けた。しかし、日本が中国への影響力を強め、アメリカ人の中国、モンゴルへの入国が難しくなり、アンドリュースたちのゴビ砂漠での調査は継続できなくなってしまった。

第二次大戦後、モンゴルは旧ソ連など東側の研究者たちの調査研究の場となった。旧ソ連の崩壊の後、アメリカ自然史博物館とモンゴルとの共同調査・研究が1991年に再開された。1993年、アンドリュース隊がプロトケラトプスのものらしいと報告したのと同じ楕円形の卵の中から、オヴィラプトルのふ化前の胚の化石が報告された。さらに1994年、そのような卵がきれいに円形に並べられた巣の上に、おとなのオヴィラプトル類が座った状態の化石が発見されたのである。オヴィラプトル類は15〜30個くらいの卵の巣の中央に座り、両手で卵を覆うようにして化石になっていた(図1)。

図1:兵庫県の丹波竜化石工房ちーたんの館に展示されているシチパチ(オヴィラプトル類)を上から見たところ。前あしのつばさを大きく広げて卵を守り、温めていたらしい

1995年、この化石に基づき、オヴィラプトル類は鳥のように卵の上に座って卵を守りながら、自分の体温で卵を温めていたとする恐竜の抱卵説が発表された(図2)。「鳥のように」と書いたが、抱卵は恐竜の段階で始まった行動ならば、現代の鳥類は「恐竜のように」抱卵していると表現すべきなのだろう。

図2:抱卵するオスのシチパチの生体復元の一例。国立科学博物館の展示パネルから(画:月本佳代美)

注意深い読者はお気づきだと思うが、巣の上に座った状態で発見された化石を、少し前から「オヴィラプトル」ではなく「オヴィラプトル類」と表記した。この「ビッグママ(大きなお母さん)」という愛称で知られるようになった化石は、首なし死体だった。そのため、1924年に命名されたオヴィラプトルに分類されるかどうかがわからなかったため、1995年の抱卵を報告する論文などではオヴィラプトル類までの分類に留められていた。

2001年、この化石などに「シチパチ」という新しい学名が与えられた。シチとはサンスクリット語で火葬、パチは王を意味する。斬首された僧侶の伝説があることから、首なしだった「ビッグママ」にちなんで作られた学名である。その後、追加標本から、シチパチはオヴィラプトルよりもクチバシが短く、前後に短い頭を持っていたことが明らかになっている。

恐竜の化石はその大部分が骨や歯のような硬い組織なため、性別の同定が難しい。現代の鳥類のメスは、産卵期が近づくと、ふとももの大腿骨の内壁などにカルシウムを蓄積させる骨髄骨という構造をもつことが知られている。これはカルシウムを体内に貯蔵して、卵の殻を作るためだと考えられている。このことを手掛かりに恐竜化石でも、骨髄骨の有無によって産卵期のメスの化石を特定できるようになった。「ビッグママ」の大腿骨の中には骨髄骨が残されていると予想されていたが、そこには骨髄骨の痕跡すら残っていなかった。

ペンギンのオスは抱卵を分担する「イクメン」として知られている。現代の鳥類では、オスの方が体の大きな種では、オスが抱卵を担当する傾向がある。現代の鳥類の体と巣の大きさと抱卵行動の関連性に当てはめてみると、シチパチなどのオヴィラプトル類は、オスが抱卵している確率が高そうなことがわかった。「ビッグママ」ではなく「パパ」だったらしいことが2008年に発表された。

「卵泥棒」の誤解が解けるまでに71年、オヴィラプトル類が「イクメン」に格上げされるまでにさらに13年の年月がかかった。そして、2020年6月、最初の恐竜の卵の殻はウミガメの卵のようにやわらかかったらしいという論文が発表された。


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