〈第8回〉デモクラシーとは多数決・多数派支配のことではない

帝塚山学院大学 教授 薬師院やくしいん 仁志ひとし

大阪市住民投票では、非高齢層の投票率が通常より高かっただけではない。実際に投票した人数も、実は非高齢者の方が多いのだ。

市選管作成の【下表】から計算すると、60歳以上の投票者は57万9361人、その内65歳以上は46万2403人となる。これに対して40代以下の投票者は60万9552人なので、投票者数もまた40代以下の人の方が多かったということになる。

つまり、40代以下の投票者が60万9552人、60歳以上の投票者の投票者が57万9361人という中で、それでも反対票が多かったというのが真相なのである。

音喜多氏は「70代以上の投票で覆された」と言うが、70代以上の投票者は31万9333人しかいなかった一方、反対票の総計は70万5585票であった。仮に70代以上の投票者の七割が反対だったとしても、反対総数の三分の一にも足りない。要するに、反対票の大部分は、70歳未満の者が入れたのということなのである。そもそも、70代以上の投票者は30代以下の投票者(33万9602人)よりも少ないのだ。

これらの事実に照らせば、少なくとも大阪市住民投票に関して、シルバーデモクラシーという指摘は的外れだと言わざるを得ない。シルバーデモクラシーどころか、そもそもデモクラシーでさえなかったのである。

目指すべきは議論を尽くしたうえでの合意形成

デモクラシー(民主主義)は、多数決や多数派支配ではない。モナーキーが一人による統治、アリストクラシーが一部の者による統治なのに対して、デモクラシーの本義は全員による統治なのである。そうでなければ、少数派の代表が議会に参加する意義はないし、議会そのものも不要だろう。この点に関して、ハンス・ケルゼンは、次のように述べている。

「議会制民主主義の国家は、その本質上、複数の党派の存在に基礎を置く国家であり、政党を構成するさまざまな利益集団の自由な活動を通じて、共同の意志が形成される。だからこそ、対立する集団の利害を調整して妥協させることができなければ、民主制は存立しえない。このような妥協のない民主制は、その反対のものに、つまり、独裁制に転化する恐れがある(※1)」

目指すべきは「共同の意志」、すなわち合意形成なのだ。それには、議論を尽くし、利害調整や妥協を模索することが不可欠である。逆に、議論なき多数決が生み出すのは、合意形成ではなく、勝ち負けでしかない。

ケルゼンが喝破する通り「多数決原理なるものは『多数者が少数者より強い』という経験的事実を無理に勿体ぶって表現したものに過ぎない」( ※2)のだ。合意形成なき住民投票もまた、これと異なるものではない。そもそも「多数者が少数者より強い」という決定方式だからこそ、高齢者の数が多ければシルバーデモクラシーになるという指摘が生まれるのだ。そう考えれば、大阪市住民投票は、まさに非民主的な手続きであり、実施すべきではなかった言う他はないだろう。

地方自治は、住民同士が勝ち負けを争うことではない。民主的決定を、宣伝合戦に委ねてはならない。そして何よりも、リーダーたる首長の仕事は、住民の意見をまとめることであり、対立を煽ることではないのである。

(※1)『デモクラシー論』(木鐸社 1977年)151頁
(※2)同10頁


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