鋳物師ゆかりの地と大法会で賑わう「あびこ観音」

先人の足跡をたどる №127(住吉区) 大阪案内人 西俣 稔

「鋳物師ゆかりの地」

旧府立盲学校を後に、阪和線を東へ横切れば山之内元町に。平安時代から脈々と続く地名で、山之内村の集落跡です。空襲を免れ古い町並みが残り、三つの寺が建ち道筋も村道で、迷路のように通されています。金林寺の隣に昭和初期築と思われる、木造の「山之内元町会館」前の公園に、「我孫子鋳物師いもじゆかりの地」碑が建っています。1991年の発掘調査で釜戸などの遺構が発見され、室町時代に鋳物の生産が盛んであった処です。全国の鋳物師を統括していた公家、継家つぎけの古文書には鋳物師のムラとして「我孫子、苅田、庭井、山内」の地名が残ります。いずれも現在もある町名で、広範囲だったことが分かります。高野山金剛峰寺の銅製の燈台には「住吉郡山内」が、桜井市の長谷寺の鐘には「住吉郡吾孫子」と彫られ、今も出荷先の痕跡が残っています。

余談ですが長谷寺や長谷川の「ながたに」を、何故「はせ」と読むのか?…大和川の源流が桜井市の初瀬川はつせ。その長い谷が連なる景観から、枕詞として「長谷の初瀬川」と詠まれた。そこで初瀬川(はつせが訛り、はせ)の音を「長谷」に振り、初瀬川を省き「はせ」と読む。同じ話が飛鳥あすか、明日香村は読めるが柏原市に安宿郡あすかがあった。原義は安処で、安住の地の意味、「宿」は「処」の当て字。安住の地には鳥も舞い戻ってくる、との優美な風景から「飛ぶ鳥の安宿」。「飛鳥」を「あすか」と読み、安宿を省いた。音の付け替え、漢字の省略は当時よくある作法であった。…読めない地名を紐解くと、古の風景が観えてきます。

「依羅」で「よさみ」と読む

旧山之内村を東へ進むと、市立依羅小学校が、これで「よさみ」と読み、依網の表記もあります。由来は後述しますが、学校北に窪んだ大きな公園があり、大正時代の地図で池と分かり付近の田んぼの灌漑用でした。すぐ東に大木が見える処が、あびこ観音。あびこ観音の山号は吾彦山、寺号を大聖観音寺と呼びます。「あびこ」の表記は吾孫子、我孫子、吾彦、安彦など多くあり、当て字と分かります。当地の豪族、依網吾彦よさみのあびこに由来し、名の意味は「よさみ(寄せ網)、あびこ(網引く)」で、漁民か狩猟からきた名でしょう。「あべの」も阿倍野、阿部野、安倍野の表記があり、往古は自由に漢字を当てていました。

大法会で賑わう、あびこ観音

幾度も戦乱を見続けてきた、大クスノキ

あびこ観音は依網吾彦一族が百済の王から、一寸八分(約5.5㎝)の胎内仏(仏胎内の小仏像)を贈られ、546年に創建したと伝わります。毎年2月1日から7日まで、「節分厄除大法会」が催され、厄除開運、無病息災そくさい、諸願成就じょうじゅを祈る参拝者で賑わっています。また当地は石山本願寺の支城我孫子城跡で、16世紀中頃、今井兵部が築きました。あびこ観音は明治14年(1881)火災で焼失、同23年再建し、幸い戦災を免れ趣ある社殿が、木々に囲われ鎮座します。境内の高さ19.5m幹廻り4.8mある大クスノキは、戦国時代から第二次大戦に至るまで、幾度も戦乱を見続けていました。説明板には「我々は戦争のない世を願って止まない。どうかのちのちの時代まで、人々を観護り続けてほしい」と記されています。

住吉大社から、あびこ観音までご案内しましたが、様々な信仰が息づいています。先行きが見えない現在、先人から学び、より良い街や平和な地球であることを願い、歴史案内などで実践していくことを、祈りました。次回からは住之江区の続きです。


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