<第一回>「こなもん」ってなんなん!?

うま安、大阪名物 江 弘毅

「B級グルメ」などという情報誌~食べログ的な表現が出てきて、非常に割を食っているのが大阪の食べ物だ。とくに「こなもん」などという言葉で十把一絡げにされた「お好み焼き」や「たこ焼き」は、若者好みのジャンクあるいはファストフード的な手触りにまみれた1アイテムになってしまった。

「こなもん」と十把一絡げにされたたこ焼き店。道頓堀にて

もう10年ぐらい前に、とある東京のグルメ誌から「うどん」を含めた「大阪こなもんトレンド」のコラムを書くべし、と発注があった時、ハタと困ってしまった。商店街生まれで地元の飲食店に親しみ、それを書いたり編集する仕事を30年以上やってるわたしは、お好み焼き屋に行くのに「こなもん食べに行こ」なんか言ったことがないし、うどん屋はお好み焼き屋ともたこ焼き屋ともまったく違う文脈構造の店だと思っているからだ。長く編集長をやっていた『ミーツ』誌では「こなもん」は単語登録されていなかった。それを担当の副編集長に正直に伝えると理解してくれて、そのあたりの東西、新旧のズレ認識を書くようにいわれた。

お好み焼きは「大阪」「堺」といった行政区画よりも狭い、「千日前」「鶴橋」というような「町の呼び名」が違うごとにある、郷土料理的なものであった。そんな店舗はもはや、梅田阪急村~グランフロントといった都心の新しい商業施設や、郊外ロードサイドの大型ショッピングモールのフードコートにはない。あったとしてもそれはテナントだ。その意味で東大阪市が「お好み焼のまち」であり、参加店が150店舗という商工会議所主催の「東大阪お好み焼グランプリ」は合点がいった。その東大阪の1軒をご紹介する。

老舗のお好み焼き「布施風月」

キャベツが多めでつなぎは極力少ない「布施風月」のお好み焼き。「創業一族の辻家」の変わらない味を守り続けている

近鉄布施駅奈良線の高架下にある「布施風月」は、昭和25年に創業した「風月」オリジナルの姿と味を引き継ぐ店だ。風月の創業者は息子兄弟にそれぞれ暖簾分けする。鶴橋( 生野区)、千林(旭区)の店は繁盛店になる。その後、経営母体が外食産業に替わり飲食ビジネスまっしぐら。多店舗フランチャイズ化で東京や海外にも支店を持つように。そんななか昭和37年創業の「布施風月」だけが、「創業一族の辻家」のお好み焼きを守り続けているのだ。

大阪の読者なら分かる話だが、お好み焼き店に関しては「地元ならではの古い店」がおいしい。けれども一筋縄では行かない。混ぜるもしくはのせる焼き方や豚玉からホルモンうどんまでのさまざまな具、一時ブームとなった地ソースはもちろん、レシピだけではない深さがあるからだ。

端的に言ってこの店のお好み焼き(=風月流)は、キャベツが多めでつなぎは極力少ない(「こなもん」というのは当たらない)。古い大阪のお好み焼き通は、大阪のお好み焼きの方向性を変えたのが「風月」だとも言う。そのお好み焼きは「客の目の前の」鉄板で焼かれる。これについて店主の辻昇さんは、「キッチンの鉄板で焼いて持ってくるのは店側の都合と技術不足によるもの」と特に辛口であるが、このあたりの話は、次回に。

(こう・ひろき)

編集者/著述家。1958年岸和田市生まれ。『Meets Regional』誌創刊に携わり12年編集長を務める。その後、編集のみならず街や食の著作を連発。昨年12月に『神戸と洋食』(神戸新聞総合出版センター)を出版。他に『「うまいもん屋」からの大阪論』(NHK出版)『いっとかなあかん店大阪』(140B)など。

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