住吉大社まで往来「神馬塚」と、模擬原爆投下慰霊碑

先人の足跡をたどる №116(東住吉区)

▼前回の法楽寺を後に北西へほんの少し歩けば、桃ヶ池の渕に小さな「神馬(しんめ)塚」が建っています。住吉大社の神馬は代々、田辺村で飼育していました。説明板によると、神功皇后が朝鮮半島から見事な白馬を、持ち帰り住吉大社で飼育していましたがある日、失踪。探してみると、この田辺で休んでいて、「馬はここを好んでいるようだ」と、神馬の飼育を田辺の村民に任せた、と伝わります。付近の大きなお家の表札が「生駒」さんと。生かす馬、すなわち「馬を育てる=馬を生かす」の当て字が、「生駒」。もしかして代々、携わっていたかも知れません。戦前、神馬は朝夕、約5㌔離れた田辺と住吉大社を往復していました。戦後長く途絶えていたのを、2008年に田辺HOPEゾーン協議会が住吉大社と田辺との繋がり、歴史を広めるために毎年11月に復活しました。現在はさすがに白馬でなく、白く塗られた木馬を曳いて大社まで、往復。歴史を継承するユニークな取組みですね。

▼「神馬塚」のすぐ隣に、「うどんや風一夜薬本舗」が店を構えています。うどんと風邪薬との組み合わせは?…アツアツのうどんを食べ、この風邪薬を飲み一晩ぐっすり寝ると、一夜で治ると大評判になり、全国に広まりました。戦前はうどんやに、この風邪薬が置かれている処がありました。明治9年(1876)の創業、歴史ある田辺ならではのお店です。

▼東住吉区で語り継ぐべき大切な事は、米軍により模擬原爆が投下されたことです。「神馬塚」の東、長居公園東筋の田辺小学校西に「模擬原爆投下慰霊碑」が建っています。昭和20年、米軍は原爆と同型同重量の5トン爆弾を、原爆投下訓練のために全国49個所で投下しました。被害は死者400名、重軽傷者1200名を超えています。神馬塚

▼訓練は高く舞い上がるキノコ雲から、パイロットが投下後、猛スピードで垂直に逃げる訓練です。この田辺にも7月26日に落とされ、7名が犠牲となっています。その11日後の8月6日広島へ、9日長崎へ原爆が投下され、未曾有の犠牲者をだしました。この爆撃は長らく模擬原爆とは分からなかったのが、投下後46年経った1991年、愛知県の教師らが調査し、国立国会図書館の米軍の資料から、模擬原爆と判明。自らも空襲被害者であり大阪大空襲研究の一人者、故・小山仁示教授がこの田辺と特定し、当時、いち早く毎日新聞が報じました。先人116

▼碑と説明板は戦争のない世界の実現と、全人類の共存と繁栄を願って2001年に建立され、毎年慰霊祭が行われています。…今はISなどテロ組織が行っていますが、特攻隊や人間魚雷、人間の体を武器として使用する国は日本だけでした。米軍は自らのパイロットの命を守る訓練を強行し、多くの日本人の犠牲者がでたのです。ここにも無謀な戦争の結末を、知ることが出来ます。戦後71年戦争の傷跡が風化していく中で、この事実を広めることが私の責務です。次回は駒川と今川です。


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