<最終回>職人仕事
- 2020/5/5
- うま安、大阪名物
ミシュランにも載っていない!? うま安、大阪名物 江 弘毅<最終回>
早いものでこの5回連載の「うま安、大阪名物」、最終回となりました。ご愛読ありがとうございます。
この連載が始まって、お好み焼き、うどん、ホルモン…と書いてきたが、さらにいま指折りしながらさっと脳裏に浮かぶ「うま安」。串カツ、バッテラ、たこ焼き、おでん…。しぶいところでは、いか焼きとか肉吸いという、その店自体のオリジナルが上がってきたりする。オムライス(心斎橋にある「北極星」が発祥だそう)やカレーライスも「大阪ならでは」のもんが多いな。
大阪の店の食べ物は、もちろんその料理、メニュー自体がうまくて値打ちがあるのだが、「店自体がおいしい」ところが多い。つまり皿の上の料理だけでなく、「どないかして客を楽しませたれ」というサービス精神が良いのだ。「一見さんでも馴染み客のように扱う」とよく言われている通りだ。
それは黙って席に着けば「どちらから来たん」と聞かれ、今日のおいしいモノを薦めてくれたりする大阪人特有の旺盛なコミュニケーションによるところが多いのだが、基本的にお好み焼きにしろ串カツにしろ「対面調理」「対面販売」が、大阪街場の「うま安」メニューを支えている。
例えば串カツ。カウンター内の料理人は、客の前でネタに粉やパン粉を付けて、客の前で揚げている。客は自分が注文した、牛やエビやシシトウやレンコン…のひとつひとつに衣をつけられ揚げられる一部始終を見ているのだ。
注文した串カツが「お待ちどうさん」とバットに並べられて出てくるのだが、その瞬間にもう「おいしい口」になっているのだ。「二度漬けお断り」なんてのはそのフィニッシュのようなものだ。居酒屋などで串カツを頼むと、奥つまり厨房から出てくるのだが、対面調理でないからこういうことはない。
お好み焼き屋に行くと、おばちゃんが鉄板で見事な手つきで焼きそばを焼くのを、カチャカチャとテコが鳴るのを聞きながら、さらにソースがかけられてたまらない匂いをかぎながら、一連のパフォーマンスとして見ることになるのだが、その時にはもう「おいしさの勝負」のようなものが決まっている。これは駅前のカウンター中華のチャーハンでもうどん屋の親子丼でも共通するのだが、前の客が注文したものを見て、「これは絶対うまそうだ」と自分も注文してしまう。
大阪人のDNAには、単に厨房から器に盛られて座敷やテーブルに運ばれて出てきた料理について食べながらとやかく言うことよりも、客の前でダイナミックに「自分のために料理される」シーンがおいしいのだ、と思う感覚が刻まれているのだと思う。
その意味で、基本的に大阪の「うま安」はイコール「職人仕事」なのだ。いくら発明的なすごいレシピでも調理法でも、彼ら食の職人の無言のコミュニケーションである「仕事の味」にはかなわない。