地車から近代産業 歴史ある岸和田を辿る

先人の足跡をたどる №144(岸和田市) 大阪案内人 西俣 稔

南海岸和田駅から出発しましょう。明治30年(1897)に創設された駅で、岸和田が古くから大きな町であった証。現在も乗降客数2万3千人を超え、南海100駅の12位となっています。駅舎は三代目で昭和初期竣工、先代の駅舎に施されていたステントグラスも継承され、鮮やかに輝いています。駅舎床一面のタイルは岸和田レンガ製をイメージし、これはガラスとともにレンガの産地であった当地の、歴史を伝えています。明治27年(1894)に岸和田紡績が設立された以降、紡績は当市の中心産業となり、他にも顕微鏡などの光学機械や、金属製品工業などの工場も林立し、近代産業の盛んな町でもありました。

西田クリニックと「だんじりからくり時計」

駅には観光案内所があり、観光パンフや町歩きマップが置かれ、常駐のスタッフが親切に名所などを教えてくれます。駅前の商店街入口にある、「西田クリニック」はレトロな二階建て木造建築で、大正5年(1916)の竣工、当時の建築様式を引き継ぎ、改修されました。玄関横に医院が設置したカラクリ時計があります。一時間置きに扉が開き、鳩が!?いいえ、なんと地車だんじり囃子と共に地車が出てくるのです。当地ならではですね。ところで地車でなぜ「だんじり」と読むのか?当て字です。台の端(尻)で跳ねるように踊る様から、「だいじり」が「だんじり」に訛り、地を這う車の屋根で踊るので、「だんじり」に「地車」を当てたものです。因みに百合で「ゆり」と読むのは、ゆりの根が百ほど絡み合う様から、「百合」を当て、サンマは形と味わう季節から「秋刀魚」です。誰が考えたのかセンスを感じます。

「岸和田駅前商店街」の初代アーケードは、昭和38年(1963)に完成。地車が通れるようにアーケードを高く設置したところ、10mを超える当時日本一の高さとなり全国的に有名となりました。現在のものは平成9年に完成、太陽の光を採り入れられるスライド式アーケードで、南大阪で初めての導入です。商店入口に、これもレトロ建物の近畿大阪銀行に説明板があります。

以下が要旨です。「旧交野無尽むじん金融㈱…無尽とは戦前盛んに行われた、金融の一形態、無尽講、頼母子たのもし講とも呼んでいた。加入している個人や法人が、一定の金品を講に払い込み、その利息で競り合う、競りや抽選に、金品や物品、土地などを受け取る方式の金融である。交野無尽は交野市に本拠を置き、近畿大阪銀行の前身である。この建物は交野無尽岸和田支店として、昭和初期に大林組によって建てられた」戦前このような取引があったのですね。岸和田市は近代建築や神社仏閣、史蹟など各所に説明板が設置され、歴史を伝えています。

宮本町の地車と蔵

商店街を少し歩き左へ入ると、大きな宮本町地車小屋があります。岸和田だんじり祭りでは、岸城きしき神社氏子の地域から30台を越える地車が曳き出され、その中でも宮本町(岸城神社の本)は、町名通り宮入り一番の特権を持っています。お盆が過ぎると夕方から小屋で、地車囃子の鉦や太鼓が響き、祭りの近づきを知らせています。本稿の写真を撮りに訪れた日は、たまたま祭りの準備で地車を見ることができました。

玩具店にもミニ地車が

商店街へ戻ると、音楽店の店頭にたくさんのDVDが並び、なんと各町会の地車のDVDなのです。玩具屋にもミニ地車が、写真館も地車の写真が、近くには地車の衣裳店があり、これも当地ならではの風景です。並びに、あの有名なコシノ三姉妹の「コシノ洋裁店」があり、5年前からギャラリーにもなっています。店内には、三姉妹の母、小篠綾子さんが使っておられたミシンや、洋裁の道具、デザイン画、写真などが展示されています。小篠綾子さんをモデルにドラマになったのが、2011年NHKの「カーネーション」で付近はロケの舞台でした。今年の4月から再放送されています。紡績など近代産業が盛んで、進取のまち岸和田の気風が、小篠家を世界的なデザイナーへ導いたのでしょう。「地車のまち岸和田」ですが、他にも多く見所のある町です。ぜひ訪ねてみてください。

コシノ洋裁店

次回は鍛冶屋町からです。


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