パンデミックが明らかにした課題
構造的暴力から脱却した新たな社会へ
新型コロナウイルスの感染拡大が大きな問題となっており、3~4月にみられたような感染者の爆発的な増加が再び起こるのではないかという懸念が広がっています。こうしたなかで、感染症を取り扱った小説や歴史書が大きな注目を集めており、歴史的なパンデミック事例に教訓を見出そうとする流れが広がっています。そこで、京都大学人文科学研究所准教授の藤原辰史(ふじはら・たつし)氏に、特にスペインかぜを教訓にした視点などから新型コロナ禍の問題についてお話を伺いました(取材日7月14日)
―現在新型コロナウイルスの感染が広がる中で、歴史的なパンデミックに注目が集まっています。先生のお考えを教えて下さい。
藤原 新型コロナウイルスの感染が広がり続けるいま、特に100年前の「スペインかぜ」が教訓になると考えています。スペインかぜは1918年から1920年まで3年かけて3度の流行を繰り返し、世界中で少なくとも4000万人以上もの人の命を奪いました。
ちなみに誤解されやすいのですが〝スペインかぜ〟とはスペインから広がっていったものではありません。スペインかぜと呼ばれるインフルエンザパンデミックが起こった当時は、第一次世界大戦の5年目に突入しているなかで各国は情報の統制を行っていました。そうした状況下で中立国であったスペインから情報が広がったため〝スペインかぜ〟という、不名誉な名前が付けられてしまったのです。
スペインかぜは、第一次世界大戦でアメリカから多くの若い兵士たちがヨーロッパへ向けて大型船で次々と派兵されるなかで、船内がクラスターと化し、世界中で急速に感染が広がっていきました。
危機下で深刻な影響を受けるのは社会的弱者
―「スペインかぜ」と「新型コロナ」の2つの感染症にはどういった共通点があるのでしょうか。
藤原 スペインかぜも新型コロナも、どちらもウイルスが原因であり、地球規模に広がったこと、巨大な船で集団感染を引き起こしたこと、対策の初動が失敗したことなどの共通点があります。そして、さらに共通するのが社会的に弱い立場にある人たちと感染の関係です。
スペインかぜの際は、先ほど申し上げた兵士たちの他に炭鉱や鉱山の労働者など劣悪な労働環境におかれた人たちの多くが感染し、亡くなっていきました。日本でも同時期に鉱山で働く労働者の死亡率が6倍以上に跳ね上がっているというデータも残っています。
現在でも、例えばアメリカの食肉処理場で労働者が次々に感染し亡くなっています。劣悪な環境で働くことを強いられ、待遇も低く抑えられてしまっている社会的に弱い立場の方ほど感染リスクが高く、危機の際はすぐに困窮が深まってしまう問題点は今も改善されないまま残っています。
「善意」を利用して責任を放棄する行政の問題
―医療をめぐる状況について感じることはありますか。
藤原 パンデミックの際には、感染拡大の波と波の間の動きやすい時に、医療現場の物資の充実と医療従事者のケアの充実を優先すべきだと歴史研究者は繰り返し指摘しています。しかし、その教訓が生かされているとは思えません。特に今も昔も、献身的に働く医療従事者へのケアは不十分なままです。
また現在「医療従事者への感謝」を呼び掛ける広告などをよく目にします。しかし、感謝を示すとは、拍手や口先だけの言葉ではなく、行政の責任で正当な報酬を払うことです。
最近ではクラウドファンディングなどで集まった募金を用いて医療機器を購入したり医療従事者への報酬にする取り組みを耳にします。しかし、医療提供体制を整え医療従事者への正当な報酬を支払うことについては、本来は行政の責任できちんと財源を確保して行うべきものです。募金そのものは大切なことですが、人の善意を利用するような社会は決して望ましい社会ではありません。行政の穴を善意で埋め続けることは、行政の責任を放棄しています。
スペインかぜの時代でも、貧困の方が多い場所では感染被害が大きくなることが知られており、慈善団体による炊き出しなどは行われていました。しかし「国家が人々の善意を利用する」のは現在の方が激しいのではとすら思います。
危機でも衰えない民衆の力 声を上げ社会を変えた歴史
―スペインかぜの時代は行政に改善を訴える動きはあったのでしょうか。
藤原 スペインかぜが広まるきっかけとなった第一次大戦は「フード・ウォー」とも言われており、食糧が戦争の勝ち負けを決める重要な要素でした。ドイツに対しては兵糧攻めにする作戦が取られたことで、ドイツ国内では大規模な飢餓が発生し多くの方が餓死しました。
飢餓による栄養不足のなかで蔓延したスペインかぜは多くの命を奪っていきました。自分の子どもや家族を亡くす方が増えていく中で、政府がおかしいのではないかという声が高まり革命が起こったのです。こうしたことはドイツだけではなく、世界中で民衆が立ち上がり、革命などが起こっていきました。
パンデミックが流行していたにも関わらず、民衆の力は衰えることはありませんでした。戦争や政治で自分たちの生命を危機に陥れる政府の存在の方をより危険視し立ち上がったのです。同じように今の新型コロナ禍でも世界を見渡せば声を上げる人たちが増えています。
ただ、100年前と違い、日本では自己責任論が強烈に蔓延しています。その結果、何か声を上げることをためらう方が少なくありません。しかし、先人が苦労して勝ち取ってきたのが言論の自由を含めた貴重な権利です。私たちは一人ひとりが主権者であることを忘れてはいけません。
危機をもたらすのは新型コロナだけではない
―新型コロナ禍の今、私たちが考えるべきことは何でしょうか。
藤原 新型コロナが蔓延したことで、私たちはいつ自分がウイルスにかかるか不安な思いをしながら暮らすようになりました。自由に外出等もできなくなり、生活には様々な不都合が生まれました。
しかし「不安を感じながら暮らす」「不都合さを抱えながら生活する」というのは新型コロナ特有のものなのでしょうか。例えば、新型コロナ以前に基地や原発の近くで生活する人たちは不安を感じない生活をしていたのでしょうか。非正規で働くひとり親の方は不安なく自由に生活を送れていたのでしょうか。紛争地帯で生きざるを得ない方はどうでしょうか。
実はずっと閉じ込められるような生活をしていた人、満足に食べられることができない人、いつ死ぬかわからない生活をしていた人たちがいて、私たちはその事実に見ないふりをしていただけではないでしょうか。恐怖や不合理をもたらすものは新型コロナウイルスだけではないことを私たちは思い起こすべきです。
私たちが気づかないうちにサスティナブルな暴力を受けている人たちがいます。これを「構造的暴力」と呼びます。
加害者意識のないまま続けられてきた暴力が新型コロナで改めて浮き彫りになっています。スペインかぜでも今回の新型コロナでも同じように、大きな危機が起これば、社会的に弱い立場の人たちに危機が濃縮されてしまいます。
ポストコロナの時代で構造的暴力に対して目をつぶっていてはいけません。「コロナ危機後にコロナ以前のことを見つめなおす」ことが重要です。
今世界中で、新型コロナで浮かび上がった諸問題について反省に向けた議論が起ころうとしています。新たな社会を構築していくことが必要であり、私たちに求められています。
近著紹介
分解の哲学―腐敗と発酵をめぐる思考―
おもちゃに変身するゴミ、土に還るロボット、葬送されるクジラ、目に見えない微生物…。わたしたちが生きる世界は新品と廃棄物、生産と消費、生と死のあわいにある豊かさに満ち溢れている。歴史学、文学、生態学から在野の実践知までを横断する、“食”を思考するための新しい哲学。
(青土社 2019年6月25日 2,400円+税)