新型コロナウイルスの感染拡大を契機に、公衆衛生の重要性が改めて指摘されています。日本の公衆衛生を担ってきた重要な存在が保健所ですが、全国的に保健所は削減されてきた経緯があります。そこで、公衆衛生学や感染症政策などを専門に研究している関西大学社会安全学部の高鳥毛敏雄教授に保健所の歴史や果たしてきた役割などについてお話を伺いました。聞き手は大阪府保険医協会の高本英司理事長です。
高本 今、保健所の存在が改めてクローズアップされるようになっています。日本の保健所の歴史などについて教えて下さい。
高鳥毛 明治政府が最初に直面したのはコレラの大流行でした。その収束後は結核患者が急増し対峙を迫られました。結核の深刻さは新型コロナの比ではなく20世紀初頭から約40年間、毎年10万人以上が結核で亡くなっていました。
感染症の歴史ではスペイン風邪が特に有名ですが、スペイン風邪が比較的短期間で収束に向かったのに対して、結核は非常に長期間に渡って感染が続きました。結核は国難であり、対策は喫緊の課題でした。
しかし、当時は今と比べて医師数や医療機関数は少なく、医療体制は圧倒的に脆弱でした。このままでは結核の対応まで手が足りないということで、西洋などとは異なり特別に保健所という組織を作り、国を挙げて公衆衛生の仕組みを作りあげていったのです。
そうして保健所を軸にして結核に対峙してきたのですが、医学の進歩などで日本人の主要な死亡原因は結核から次第に「がん」になっていくようになり、保健所に求められるものが変わってくるようになりました。医師数も医療機関数も増え、医師会としての体制も整うようになりました。
そうしたことを背景に結核対策を主要目的にして作られた保健所については、今後は重装備化していくのではなく軽装備にしていき、地域の健康問題は地元の医師会と協力していこうという長期ビジョンを持った政策に転換していったのです。
しかし、結核を中心に作られた日本の公衆衛生は、感染症対策の主体を保健所とする体系で作られてきたため、医療機関の感染症への対応力は医師数の増加と連動して高まってはいませんでした。
日本の公衆衛生について、医療側と保健所で、どう役割分担していくか、どう協力をしていくかの議論をもっと行うべきだったのですが、議論が進まないまま保健所のリストラだけが進められてきたのです。
引き継がれなかったビジョン 保健所軽視の背景にあるもの
高本 なぜ日本の公衆衛生に関する議論は進まなかったのでしょうか。
高鳥毛 当時の厚生技官たちは、明確なビジョンを持ち日本社会の絵を描いていました。特に昭和50年代から平成の初めまで「日本という社会に真に適した公衆衛生体制は何か」という議論が喧々諤々と行われていたように思います。しかし、技官の構成が大きく変わってしまい当時のビジョンや議論が引き継がれなくなったのです。
元々、厚生省の人材は、昭和40年代まで地方の保健所で雇用している医師のなかで能力のある人を引き抜くということが多く、厚生省と保健所はいわば二人三脚の存在でした。
しかし、1980~1990年代のいわゆる行政改革の時代に、どこの官庁も「自分の方が立派な官庁だ」ということを張り合うなかで、地方からのリクルートはやめるべきだという声が大きくなっていきました。そうして他の省庁と同じくだんだんと東大出身者などキャリア採用が増えていくようになりました。
その結果、過去の担当者の議論や、どういう思いで将来のビジョンを描いていたのかうまく引き継がれなくなり、現場感覚も薄れていったのです。
連動する形で、各都道府県の担当者の中でも当時の公衆衛生の議論が引き継がれなくなっていくと、「財政が厳しいなかで公衆衛生の予算を減らすべきでは」というリストラありきの声が強まっていくようになりました。大阪はまさに代表例です。大阪維新の会は大阪市立環境科学研究所と大阪府立公衆衛生研究所を「二重行政のムダ」とやり玉に挙げ、合併してリストラを行いました。そして、大阪府の直営ではなく独立行政法人化したのです。
当時の厚生省の技官たちがなぜ保健所の重装備化をやめていく判断をしたのか、議論の趣旨を思い出す必要があります。
感染症の拡大を追い風として奇跡的に維持された保健所
高鳥毛 今保健所が残っているのは奇跡だと言えます。結核に対峙することを目的に保健所が作られ、結核患者が少なくなると同時にリストラの対象にされました。にも関わらず保健所が維持されているのは幸か不幸か結核が思うように減らなかったからです。
結核が増え始めたことを理由に、1999年に保健所機能を強化するという方針が出されました。更に保健所機能の強化を考えていた際に、2003年のSARSや2009年の新型インフルエンザウイルスなどが大きな問題となりました。
感染症の拡大を追い風にして、保健所の重要性と存続を訴える声が少数派ではなくなり、厚労省の中で感染症というのは過去の問題ではないという認識が広まりました。その結果、保健所を削減するという議論は1990年代から2000年代の初めで止まり、現在まで何とか踏み留まり、今回の新型コロナにもギリギリ対応できたのです。
保健所と医療側で新たな役割分担を模索すべき
高本 今後の公衆衛生の在り方について先生のお考えを教えて下さい。
高鳥毛 今、新型コロナウイルスで万単位の死者が出ている国々はむしろ日本が真似をしてきた欧米ですが日本とは大きな違いがあります。
その違いとは欧米諸国の公衆衛生は「医療と結びつく選択」を行ったことにあります。
確かに公衆衛生と医療が結びつくことで予防から治療まで完結できるため、一定合理的な側面はあります。しかし、今回の新型コロナのように医療機関が感染症に対応できなくなると一緒に火だるまになってしまう構造にあるのです。
これに対して日本は1978年の国民健康づくり計画の時に、医療ではなく「行政に公衆衛生が結びつく」という選択をしました。行政と結びつくことで医療政策とは独立して結核問題がなくなっても生き残れるような仕掛けをして、感染症対策は保健所が行う役割分担を行ったのです。
しかし、保健所が医療ではなく行政に結びつく選択をしたとはいえ、当然医療とは密接な関係を保っており、保健所の仕事は医師会の存在によって支えられています。保健所の対人サービスを行うためには医師会からのサポートが不可欠です。
また、サポートを受けるだけでなく保健所は医療機関を守る役割をしています。クラスター対策や、感染症患者の管理から治癒までのサポートなど、各医療機関ではできない重要な業務をしています。そして、平時でも医療側と行政とを橋渡しする役割も果たしています。保健所と医師会は夫婦のような存在と言っても過言ではありません。
保健所と医療側で連動する体制を構築し第二波に備える
高鳥毛 ただし、今の役割分担を続ける選択が必ずしも正しいことだとは思いません。医療界自身が感染症対策の体系を作っていくことが、医療側の診療機能を維持していくために必要だと思っています。
医療を担う開業医の先生方で感染症対策のシステムを作り、保健所と連動する形がうまくできれば新型コロナの第二波、第三波にも対応できると思います。
また、医療機関のなかで感染症の診断や検査の仕組みなどを作ったからといって、保健所という公衆衛生の組織がいらなくなるということではありません。今回の新型コロナの第一波を日本が何とかやり過ごすことができたのは、クラスター対策が行えたことが大きな要因の一つですが、クラスター対策は保健所と保健師が結核で使っている仕組みを利用しており、簡単に医療側が行うことはできません。
保健所という戦う組織がなければ沈静化は不可能
今、政府は色々と専門家会議などで対策を練っていますが、実際には保健所という戦う集団がなければ、いくら指揮監督したとしても沈静化はできません。保健所が結核で培ったノウハウを使うことで何とか踏み留まっているのです。
しかし前述のように、これまでのやり方を続けることが困難な部分もあるので、今後は医療と保健所で新たな役割分担を模索することが必要だと思います。
大阪府が主導して公衆衛生対策を進める必要がある
高本 保険医協会としては毎年大阪府に対して公衆衛生の体制強化をすべきだと要請していますが、先生のお考えを教えて下さい。
高鳥毛 私自身も毎年訴えていることなのですが、府の担当者からはいつも「大阪府内の中核市に対しては自治権があるので、大阪府としてはどうすることもできない」と逃げられています。確かに、今大阪府の保健所でカバーしているのは府内人口の約3割~4割程度です。しかし、私は公衆衛生とはボーダーレスなため、大阪府が音頭を取るべきだとずっと言い続けています。
実際に国の方針は、都道府県が広域行政の調整役であり、責任があるという方向に転換してきています。例えば感染症法の結核でいえば、大阪府内の結核の予防計画の基本的な方針や感染症の病床の整備、支援は都道府県がするべきという立て付けになっています。建前論で逃げるのではなく大阪府として対応するように求め続けることが大事なことだと思います。
現在新型コロナで「大阪モデル」が話題になっていますが私はこのモデルには一定の評価をしています。今回の危機で大阪府は専門家の意見を傾聴するようになってきているのではないでしょうか。これまでの行き過ぎた政策を転換していく可能性があると思いますので、是非保険医協会からも要請を続けていただければと思います。
高本 保険医協会としても諦めず運動を続けていこうと思っています。本日はありがとうございました。