カテゴリー:先人の足跡をたどる

  • 収穫・願い事・安産・盗難除け 様々な信仰と、華麗広大な正印殿

    先人の足跡をたどる №123(住吉区) 大阪案内人 西俣 稔 前回の浅沢社向いに「ニットーレコード」がありました。大正9年(1920)に日東蓄音機株式会社が設立され、蓄音機とともにレコードを発売、その収音は「道頓堀行進曲」やエンタツ・アチャコ、桂春団治の落語、浪花節、義太夫、宝…
  • 消えた住吉郡と、神社仏閣が散在の熊野街道を辿る

    先人の足跡をたどる №122(住吉区) 大阪案内人 西俣 稔 [caption id="attachment_4623" align="alignright" width="112"] 「旧東成郡西成郡境界」碑[/caption] 閻魔地蔵を後に緩やかな坂を少し上がる…
  • 天保期「大阪」と彫られた燈籠と、地元に愛される閻魔地蔵

    先人の足跡をたどる №121(住吉区) 大阪案内人 西俣 稔今回は住吉大社境内の珍しい燈籠の話からです。「大阪」の地名は現在の大阪城の所に、浄土真宗の八代法主蓮如が1496年、石山本願寺を建立しました。その際「(石山本願寺が)大坂トイフ在所」と記されているのが、文献上の初見です。…
  • 信仰のまち住吉を辿る 住吉大社と南海電車創設者

    先人の足跡をたどる №120(住吉区) 大阪案内人 西俣 稔今回から住吉区を訪ねます。南海電車住吉大社駅を降りると燈籠が建ち並び、阪堺電車の向こうに、鳥居を通し太鼓橋が見えます。まずは鳥居を前に明治16年頃(1883)にあったことから。……鳥居前は紀州街道で、着物を着た40歳頃の…
  • 駅名となった「針中野」と今川の源流であった狭山池

    先人の足跡をたどる №119(東住吉区・大阪狭山市)駅名となった「針中野」と今川の源流であった狭山池 大阪案内人 西俣 稔今川の平等橋を後に西へ少し歩けば曲がった村道が通り、大正3年(1914)建立の道標に、「はりみち」「でんしゃのりば」と刻まれています。駅名や町名となっている針…
  • 治水工事で安全な町に 今川と夢ある橋名

    先人の足跡をたどる №118(東住吉区)▼駒川の文化橋を後に少し東へ歩けば、近鉄南大阪線今川駅。駅を越えると、町名が西今川に変わり、300m程先に今川が流れています。駒川とほぼ平行に流れ、1700年頃までは狭山池が水源で西(にし)除(よけ)川の下流でしたが、大和川付替えで水流が途…
  • 橋名川名にも歴史が 55も橋が架かる駒川

    先人の足跡をたどる №117(東住吉区)▼「模擬原爆碑」を後に長居公園東通の北に、阪神高速松原線が見えます。みなさん現在の地図を開いてください。松原線の西端は西成区北天下茶屋、阪堺電車今池駅の手前まで通じ、一方東端は平野区平野本町まで通じています。南海平野線廃線跡に高速が通された…
  • 住吉大社まで往来「神馬塚」と、模擬原爆投下慰霊碑

    先人の足跡をたどる №116(東住吉区)▼前回の法楽寺を後に北西へほんの少し歩けば、桃ヶ池の渕に小さな「神馬(しんめ)塚」が建っています。住吉大社の神馬は代々、田辺村で飼育していました。説明板によると、神功皇后が朝鮮半島から見事な白馬を、持ち帰り住吉大社で飼育していましたがある日…
  • 「怨親平等」平重盛の精神今も地域に、開かれた「法楽寺」

    先人の足跡をたどる №115(東住吉区)▼前回の山阪神社を北へ辿り、旧南田辺村の四辻に立つと道がずれて交わり、どの道も真っ直ぐ通らず見通しが悪くなっています。よそ者や不審者が入り込むと、迷うような仕掛けなのです。江戸時代の村民は自ら村を守るために、漢数字の「五」で道を通しました。…
  • 桃ヶ池と山阪神社 田辺界隈を辿る

    先人の足跡をたどる №114(東住吉区)▼今回から奈良時代から続く地名、「住吉」一帯をご案内します。まずは東住吉区から。昭和18年(1933)人口増加に伴い、住吉区から分区しました。JR南田辺駅から出発しましょう。「田辺」の由来は古く田部とも書き、飛鳥時代に朝鮮半島からの渡来系田…
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