カテゴリー:先人の足跡をたどる

  • こなから坂・吉田松陰滞在地・蛸地蔵 岸和田城下町を辿る

    先人の足跡をたどる №146(岸和田市) 大阪案内人 西俣 稔 前回は鍛冶屋町などをご案内しましたが、いよいよ岸和田城内へ入ります。敵の侵入に備えカギ型に曲げた堺口門跡を入ると、本町で城下町の中心地です。すぐに内町門跡でここもカギ型で二重に防御していました。街道筋ならではの和菓…
  • 城外も見所散在 鍛冶屋町・寺町・近代建築・欄干橋

    先人の足跡をたどる №145(岸和田市) 大阪案内人 西俣 稔 コシノ洋裁店を後に海側へ歩き国道26号線を渡ると「五軒家町」、江戸時代に五軒の家か寺が並び付いたのでしょう。角には老舗の和菓子屋があり昭和の風情を残しています。ここからは「岸和田本通り商店街」で「昭和大通」の名が起…
  • 地車から近代産業 歴史ある岸和田を辿る

    先人の足跡をたどる №144(岸和田市) 大阪案内人 西俣 稔 南海岸和田駅から出発しましょう。明治30年(1897)に創設された駅で、岸和田が古くから大きな町であった証。現在も乗降客数2万3千人を超え、南海100駅の12位となっています。駅舎は三代目で昭和初期竣工、先代の駅舎…
  • 大阪水道の歴史と柴島(くにじま)の由来

    先人の足跡をたどる №143(都島区) 大阪案内人 西俣 稔 阪急崇禅寺駅横の大宮橋踏切を越えると、柴島浄水場です。ここで大阪の水道の歴史を。明治10年(1877)から同20年頃、井戸水の悪水で感染したコレラ・チフスで、大阪でも3万人を超える人々が亡くなりました。そこで安全な水…
  • ガラシア夫人・足利義教墓と中島惣社

    先人の足跡をたどる №142(東淀川区) 大阪案内人 西俣 稔 [caption id="attachment_5618" align="alignright" width="125"] 足利義教首塚[/caption] [caption id="attachment_56…
  • 高射砲陣地遺構と須賀神社跡・崇禅寺を辿る

    先人の足跡をたどる №141(東淀川区) 大阪案内人 西俣 稔 中島大水道跡碑を西へ進み、西淡路小学校手間の路地を抜けると、コンクリートの建造物が建っています。B29などを撃ち落す高射砲陣地の砲台で、西淡路(当時国次)高射砲陣地の遺構です。砲台は高さ約5m、12角形で、7㎝高射…
  • 先人の苦難 新幹線下の中島大水道

    先人の足跡をたどる №140(東淀川区) 大阪案内人 西俣 稔 阪急淡路駅西の商店街を抜けると、新幹線が通ります。数年前の毎日新聞のコラム、タイトルは「そんなに急いでどうするの」だったと思います。リニアモーターカーの話です。記者は昭和39年(1964)新幹線開通の時に書かれた、…
  • 大阪市摂津市の境界と淡路周辺を辿る

    先人の足跡をたどる №139(東淀川区) 大阪案内人 西俣 稔 今回から東淀川区を辿ります。大正14年(1925)に大阪市の拡張で、西淀川区とともに編入。それまでは西成郡、一面田園地帯で多くの村が点在していました。東淀川区がなぜ西成?と思われるかも。奈良時代にできた郡で、上町台…
  • 中津川の痕跡と300年以上続く一夜官女祭

    先人の足跡をたどる №138(西淀川区) 大阪案内人 西俣 稔 中津川の先(鼻)が由来の鼻川神社の鳥居を東へ出ると、道筋が弓なりに曲がっています。埋め立てられた中津川跡で、西側が川跡で宅地化し新しい家が建ち、東側は新家といわれる中津川東岸の集落跡で、古民家や蔵が建っています。少…
  • 住民憩いの大野川緑陰道 町名に継承される歴史

    先人の足跡をたどる №137(西淀川区) 大阪案内人 西俣 稔 歴史案内で古の話を語っている道中、大和田街道途中に「関西スーパー」があり、ふと現実に戻ります。スーパー前の道が大きく東へ曲がり、明治18年(1885)の地図を見ると、街道の曲がりと分かり、変わらぬ道筋が残っています…
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