震災25年を迎え、改めて万全の防災対策を

1995年1月17日に発生したM7.3の巨大地震を発端とする阪神・淡路大震災から25年が経過した。直後に6500人近くが死亡。地震当日の死亡者5036人のうち、76%の方が1時間以内に亡くなっている。大半が圧死、窒息死で、負傷者も44000人近くに上った。

経験したことのない大揺れに飛び起き、テレビに映し出された神戸の無数に上がる火の手の映像に愕然とした。ビル診療所を開設して3カ月弱であった。自転車で辿り着いた診療所の床、壁に無残なヒビが入り、ずっと震災の傷跡を眺めながらの診療となった。

直後からボランティアを開始した。公園のにわか作りのテント避難所、学校の避難所から仮設住宅、復興公営住宅へと10年近く通う中で、人々の生業を奪い、地域のコミュニティを破壊し、生きる希望を無慈悲に摘み取っていく災害の現実をつぶさに見た。同時に、孤立・孤独から抜け出そうと地域ごとの自治会づくりに奔走する女性を中心にした、人々の逞しい姿にも接した。

大阪府保険医協会と保団連は直ちに災害対策本部を設置し、府下の被災診療所支援と同時並行で、全国から届けられる支援物資と義援金1200万円を兵庫県保険医協会に届け、一日も早い復興に最大限協力した。

その後現在まで続く「住民優先・生業の復興」と「住民を脇に置いた行政優先のハコもの経済復興」を巡り、いかに調和した震災復興を目指すかの検討がなされた。しかし今日「災害からの復興」というより「復興による新たな災害」が指摘されている。典型的事例では住民の声が復興計画に反映されなかった新長田駅南地区では、生業の復興が進まず再開発ありきの自治体行政が厳しく問われている。

人間の復興という点では、20年を限度とした借り上げ公営住宅強制退所訴訟、今後も増加する震災アスベスト被害患者に対する健診の充実や補償、復興住宅における高齢者・震災障がい者の孤独・孤立死を防ぐ地域コミュニティ作りなど大きな課題が行政に問われている。外観が良くなっただけでは人は安心して暮らせないのである。

地域医療を守るために医師としてすべきこと

1998年には被災者生活再建支援法が成立し、「個人補償はしない」という政府の従来の姿勢を改めさせ、公的支援・支援金支給という成果を一定実現した。そんな取り組みを通して兵庫県保険医協会、保団連なども加わり全国災害対策連絡会が1999年に発足した。住民本位の地域の復興、被災者の生業保障、医療・社会保障確保などを総合的に交流し、政府・自治体に住民の改善要望を届ける活動を継続している。また東日本大震災以降、生活再建資金を350万円から500万円へ増額する運動を粘り強く行っている。国・自治体に防災・減災対策、生業を可能にする予算を配分せよと要求する保険医協会、保団連の活動は重要である。

同時に近い将来予測されている南海トラフ地震、津波など大規模災害や地球温暖化による台風、浸水などへの対処を、地域医療を継続し守る観点から開業医・勤務医として真剣に考えなければならない。まず災害に強い病院・診療所づくりのために、医療機器の浸水被害防止、患者データの保存・維持管理、非常時の通信や電気系統の確保、救急搬送先の確保などの総点検を、年初から検討すべきと考えられる。


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