昨年秋の衆議院選挙の頃から「野党は批判ばかり」という非難が与党や一部のメディアなどで盛んに論じられた。コロナ禍で疲弊している一般市民は与党に対しても野党に対しても信頼感が持てない状況である。
しかし一方で、あるメディアは野党の積極的な活動を報じている。「野党は政権への批判と一体に様々な提案をしてそれを実現する努力をしてきた。コロナ対策の推進案、原発ゼロ基本法案の提出をはじめとして、経済、環境、ジェンダー、平和などあらゆる分野で提案をして実現のために戦ってきた」。さらに、作家の中村文則氏や平野啓一郎氏、ジャーナリストの青木理氏らが複数のメディアでそのような論調を支持している。
さて以上は日本の現状である。そもそも野党とはどういうものか。欧米文明国の状況との違い、今日の日本にとっての「野党の果たすべき役割」などについて政治学者・吉田徹の『野党論』及びその他の文献を参考にして考えてみたい。
野党とは特定の政党ではない。「政府から離れた在野の政党」を意味する。政権・内閣・行政を担わない政党のことであり、それを担う与党と対峙する(Wikipediaより)。
すなわち、特定の政党ではないが民主政治における機能と役割に還元される。汲みつくせぬ「民意の残余」を政治的に表出するものである。このような「野党性」が発揮されることでむしろ民主政治は安定し発展する、と吉田氏は論じている。
前述のように現在の日本では「野党は無責任」「党利党略ばかり」と感じている人もいるであろう。だが、野党は政治をよりよくする上で不可欠のツールであり、その存在は市民にとって、ある意味では宝とも言える。
議会制民主主義という政治の形をとっていてもアメリカ、イギリス、ドイツなどそれぞれの歴史・文化の違いによって政治の形は異なる。しかし、民主主義にとって「野党」は不可欠なリソースの一つであることに変わりはない。
さて、今日の日本の野党はどのような役割と機能を果たすべきなのか。
世界はますます多様化し、個人に帰する度合いを高めている。政治で問われる争点も複雑になっていく。新たな「野党性」は難易度の高い争点に対して発揮されることになる。同時に現実の世界を能動的に変革していく積極性を有していなければならない。
民主主義の持つ不確実さを確実なものにするためのツールの一つが「野党」と言える。それをどう育てるか、いかに使いこなすかは民主主義の主権者である我々市民の責務であろう。