新型コロナ・パンデミックから「新しい日常生活」を考える

今回の新型コロナウイルス感染症は、社会全体に大きな損失をもたらした。日本では1957年のアジア風邪以来のパンデミックとなった。時々刻々報道される過剰なマスコミ情報で不安感が掻き立てられ、情緒不安定になった患者、自粛で引き篭もり、足の衰えが増強した患者を多く診察した。保険医協会は、十分な防護具、必要かつ十分なPCR検査センターの設置、保健所の強化、医療機関の存続可能な補償など、感染症対策の抜本的改善を行政に再三要望してきた。

引き続き第二波への警戒を怠らないのは当然であるが、視点を変えて自然界からの言い分を受け止め事態を分析することも、今後のウイルスとの付き合い方を考える上で重要である。

今回のパンデミックは「藪をつついて蛇を出す」如く、偶然でなく必然であった。ウイルスはもともとコウモリなどと共存していたのであり「新型」とは人間にとって初体験であったに過ぎない。今後ますます未知のウイルスとの出会いは頻度を増すに違いない。

原因は複合的であるが、主には開発一辺倒で自然を破壊する経済活動にある。餌を求めるクマ、イノシシ、サルなどが市街地に出没するのは荒廃する山林や宅地造成などで野生動物の居所が浸食されているからだ。野生動物に何の責任もない。生態系を破壊する人間側の行為に問題がある。自然破壊を進めないために過度の経済活動に制限を加えるべきである。

地球温暖化はコロナ禍と同一線上の問題

同一線上の深刻な問題として地球温暖化がある。温暖化が加速する原因である温室効果ガスをこれ以上増やさないことである。このことに政府、企業は気づきながら積極的に関わろうとしない。「大洪水よ、我が亡きあとに来たれ!」を地で行く新自由主義・市場原理政策を転換すべきである。

温暖化に歯止めを掛けるべく国連気候変動枠組み条約締約国会議は、2015年12月パリ協定にて19世紀半のイギリス産業革命以降の気温上昇を2度未満、可能なら1.5度に抑制する目標を決定したが、今世紀末には3度を超すと危惧されている。

温室効果ガス排出量世界5位である日本は、石炭火力発電、電力大量消費の原発稼働を中止し、自然再生エネルギーへの転換を強化しなければならない。

コロナ禍を生きる苦痛はあるが、ウイルスを蔓延させているのは他でもない人間である。未知の生物による人類への警告と受け止める謙虚さが必要である。臨床現場や予防・公衆衛生に思い切った予算を投入しない国・自治体の現状を見ると、自然災害というより人災の方が相応しい。

私たちもどのように生活すればよいか、一人ひとりが考える良い機会と捉えたい。自己責任から解放され協同・協調を基本とする社会、大量生産・大量消費から自然・ものを大切にする個人が尊重される社会へ舵を切る機運が世界的に生まれている。

2015年9月国連サミットで採択されたSDGs(持続可能な開発目標)運動がある。開発至上主義から持続可能な開発目標を掲げ、自然界との共存へと大きく転換することが、今回のコロナ禍を通して学習しなければならない教訓ではないだろうか。


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