学術会議問題の背景に潜む「法の支配」の軽視

日本学術会議が推薦した会員候補105人のうち6人の任命を菅首相が拒否した問題は、過去に例のない異常事態である。6人は前内閣に批判的な発言をしたことがある。総合的、俯瞰的、バランスといった、あいまいな言葉の裏に、異論を唱えるものを許さず、研究者とその集団を従順なものにしようとする思惑が透けて見える。政権は任命拒否の理由を明らかにせず、論点を学術会議のあり方にすり替え、不誠実かつ無責任な態度に終始している。

そもそも学術会議は、第2次世界大戦に科学が協力させられたことへの反省の上に「独立して職務を行う」と規定されている。中国で731部隊などが細菌兵器の人体実験で多数の中国人を殺害した歴史を忘れてはならない。

1983年には「政府が行うのは形式的任命にすぎない」(中曽根首相国会答弁)とされてきた。今回の任命拒否は日本学術会議の独立性を侵し学問の自由に対する介入・干渉という憲法23条違反の違法行為である。その後、菅首相は学術会議が提出した推薦名簿105人を「見ていない」と発言したとされるが、それは推薦に基づいて任命するという学術会議法7条に違反している。そして、6人を除いたのが誰であれ、任命権のない者に任命を委ねて、見ていないと開き直る菅首相の責任は重い。

また、学術会議の経費に10億円の国費が使われていることを人事介入の根拠にしているが、国費とは国民の税金であって、内閣の自由に出来るものではない。逆に税金が費やされているからこそ任命拒否の理由を国民に説明しなければならないということになる。

拒否理由は6人が政府に批判的な言動、態度があったというのはまず間違いないであろう。それならば菅首相はそれをはっきりと説明した方が分かりやすい。その場合、学問の自由の侵害になると批判の嵐に晒されることになる。結局、それは言えないので俯瞰的という言葉で誤魔化している。

この問題の背景には、安倍政権から引き継がれつつある「法の支配」の軽視がある。時の権力者が、自分の都合のよいように恣意的に法を解釈・運用するという「人の支配」である。それは「森友・加計学園、桜を見る会」など一連の問題から続いている権力の乱用で、うやむやに葬るわけにはいかない。


保険医新聞掲載

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