10月は様々なものが一斉に値上げとなり、食品だけでも6千品目を超える見通しだ。さらに国は、一定の収入がある75歳以上高齢者の医療費窓口負担をこれまでの〝倍〟にした。事前に保険料を払っているのに、さらに負担させる制度が「保険」といえるだろうか。
患者は受診後の支払いができないと判断すれば、そもそも受診しない。無料低額診療(※薬剤費カバーなし)や、国保法44条の「一部負担金減免」といった制度も利用できる人は限られる。「払えれば診療と投薬を受けられる」が「払えなければ全く受けられない」というAll-or-Noneである。
もし「全額払えないので七掛けで治療してくれ」と言われたらどうだろうか。「風邪薬『3g』→『2.1g』」や、「点滴500㎖『3本/日』→『2本/日』」は数字上可能かもしれないが、歯科治療で「虫歯を削るまで」や、外科で「膿んだ虫垂を切除するところまでで終了」とはできない。だから医療は現物支給(All)なのである。
芝田英昭氏著『医療保険「一部負担」の根拠を追う』によれば、1960年代後半から一部負担が見直され、1973年には高齢者一部負担金の無料化が実施された。
しかし、1983年には再び高齢者に一部負担が導入され、さらにその翌年には、被用者本人負担割合が1割に引き上げられた。そしてその後も、一部負担は事あるごとに引き上げられて、現在に至っている。
1996年、大蔵省(現財務省)の主計局主査は雑誌社のインタビューに「保険財政の危機だ。需要サイド(患者)はフリーアクセス、コスト意識も希薄で不必要な需要が生まれる。供給側(医療機関、従事者)も抑制が必要」と述べた。
また、2018年には当時の財務大臣が「『飲んで運動もせず病気になった人の医療費を、健康に努力している自分が支払うのはあほらしい』という先輩の話を聞いて、いいこと言うなと思った」と発言した。
彼らは疾病の原因、公的保険の意味と目的をどう捉えているのだろうか。
こうした「一部負担」の考えの根底には「疾病の自己責任論」と「過度な受診」の抑制目的がある。しかし、前者の「疾病の自己責任論」については、Social Determinants of Health(SDH、健康の社会的決定要因)の研究で否定されており、健康状態には、個人の問題以外にも、社会的な背景が影響している割合が大きいといわれている。
また、後者の「過度な受診」についても、保険医協会の調査や大学の研究等で否定されており、患者負担を軽減しても不要な受診は増えないといわれている。
むしろ、コロナで発熱外来がパンクし、保健所職員が悲鳴を上げ、臨時施設もスタッフ確保が十分できなかったのは医療の供給削減策の結果である。2年後に迫った「医師の働き方改革」でも、根本的に医師数を増やさなければ、労働時間の短縮が医療供給の減少につながってしまう。
北朝鮮のミサイル発射など他国の脅威を理由に軍事費は5兆円を超えている。軍事財政は危機ではないのだろうか。軍事費の「需要」を減らすには、近隣国と平和的な外交交渉、そして「供給」を減らすには、軍事費を医療・介護・福祉に回すことが欠かせない。