コロナ禍からの脱出のため科学と学問の自由の尊重を

新型コロナ感染の拡大を食い止める懸命な努力が1年半以上に亘って続いている。しかし、国民が安心して暮らせる生活の保障である医療・公衆衛生・福祉の社会的共通資本が、これ程貧弱であり未成熟であったという事実を毎日の暮らしの中で見せつけられた。

同時に、社会保障費を極限まで削減してきた新自由主義・低医療費政策によるPCR検査拡大の消極的対応による早期発見の遅れ、入院病床の絶対的不足やワクチン接種対応の朝令暮改ぶりは、国民生活に大きな損失をもたらしている。

また、内外の科学的知見が蓄積されてきているにもかかわらず、専門家の意見を取り入れず行政に活かそうとしない、科学を軽視する頑迷な経験主義に基づく行政がまかり通っている。「科学を考察する知力」が、菅政権には障害として映っているのは明らかである。その原因をなす研究・学問の自由と政治の関係について考えてみたい。

学問の自由を軽視する政府の強権的な姿勢

極めて簡潔な日本国憲法であるが、その中でも23条の「学問の自由は、これを保障する」と65条の「行政権は、内閣に属する」は短文の代表である。

この普遍的な「学問の自由」と立憲主義に基づく「行政権」を巡り、科学者の英知を代表する日本学術会議と行政の最高権力機関である内閣府は、激しく対立したままである。

2020年9月、日本学術会議が推薦した105人の会員候補の内、安保法制や共謀罪の審議過程で、明確に反対の論陣を張った人文・社会科学系の学者・研究者6人の候補者を政府が拒否したことが発端である。

行政権を楯に菅政権は拒否を撤回する気配を見せていない。研究・学問の自由を下位に、行政権を上位に置く権力的な考え方である。

この考えは、緊急事態宣言・まんえん防止等重点措置など難しい判断を政府が迫られた時、科学的根拠に基づく専門家会議の提案を吟味することなく、恣意的に行政判断することと共通している。

コロナ感染拡大下で人命や経済の損失という高い授業料を払っている今、国民の生命・財産の保護を最優先とする科学に基づく行政を創造する時期を逃してはならない。

学問の自由は、科学の探究を通して人類への貢献を保障する土台であり、時々の政治の都合で左右されるものでない。そのための憲法23条であり、コロナ禍からの脱出の道である。


保険医新聞掲載

ページ上部へ戻る