「予防医療で社会保障費抑制」の落とし穴 分断・対立を生み出す危険性に注意を

日本社会における特筆すべき特徴のひとつに、いわゆる「健康ブーム」がある。フィットネスジムや、ジョギング、ウォーキングに取り組む人たちの姿を目にすることも最近では珍しくはない。認知症予防の一環として、玉石混交のサプリメントや頭のトレーニングを謳うパズルゲームなど、業界は商魂たくましく、あの手この手で売り込みに躍起となっている。こうした現象と呼応するように、安倍政権も健康寿命延伸、予防重視を掲げているが、その裏事情を検討すれば額面通りに国民の健康維持目的が進められるのか疑問点が挙がってくる。

団塊世代が75歳以上になる前に給付抑制の仕組みをつくろうと、厚労省は2013年に試算を行った。その結果、予防医療や後発医薬品の使用促進などで約5兆円の費用抑制が見込まれるとしている。また、経産省は2018年、約3.3兆円の抑制が可能と発表した。これらの試算を受ける形で未来投資会議は2016年11月、医療と介護の「予防・健康管理」「自立支援」を打ち出す方向を示した。

予防医療で社会保障費が抑制される根拠はない

だが現状、予防医療の社会保障費抑制効果には疑問がある。研究によれば、予防対策にも費用はかかり、予防で寿命が延びることで社会保障給付が必要となってくる。経産省の試算でも予防対策に必要な費用は考慮されておらず、予防・健康管理に不可欠な社会資本整備の視点が抜け落ちている。今の予防政策のそもそもの出発点は、故・日野原重明氏が提唱した「生活習慣病」の概念と、2006年に導入された特定健診(メタボ健診)・特定保健指導だ。健康づくりを推進することはよいことであるが、これが給付抑制につながるという根拠は認められない。

予防医療推進に潜む自己責任論の拡大

病気の症状そして原因の多様性というものを、個人の生活習慣すなわち自己責任に単純化し、不摂生が医療費を膨張させているから医療の目的を予防主体へとシフトする方針には、大きな落とし穴が潜んでいる。

健康づくりをしなかったから病気になったとする社会世論を醸成して、人々のあいだに分断や対立を生み出す危険性について、わたしたちは十分注意を払う必要性がある。超高齢社会や格差社会がもたらした同様の対立構図に学ばなければなるまい。


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